柴田元幸の『ナイン・インタビューズ 柴田元幸と9人の作家たち』をちびちびと読んでます。
おもしろいっす。
これは、English Journalという英語学習雑誌に連載されたインタビューがもとになっており、その録音が収められたCDがついています。英語が左頁、その日本語訳が右頁にあって、音をききながら読むこともできる。パーフェクトな英語学習教材ですね。
9人の作家とは次の人たち。
シリ・ハストヴェット
アート・スピーゲルマン
T・R・ピアソン
スチュアート・ダイベック
リチャード・パワーズ
レベッカ・ブラウン
カズオ・イシグロ
ポール・オースター
村上春樹
正直申しまして、この9人のうち、読んだことがあるのは、カズオ・イシグロと村上春樹だけで、名前さえ知らない人がほとんどです。
この本を買ったのは、(友人のSさんが愛好しているために知ることになった)カズオ・イシグロと、(大学1年の時から読み続けている)村上春樹のインタビューが読みたいがため。(*村上春樹については録音がCDに入っていません。)
しかし、名前も知らない、読んだことのない作家のインタビューを読み始めてみると、それが面白いのです。その人の作品をぜひ読んでみたくなる。
これはなんでしょうね。インタビュアーの力量によるところが大きいのではないだろうか。柴田元幸さんという方は熟練した翻訳家でありますが、本当に良い翻訳家というのは、作家の内奥まで理解しているいわば代弁者であり、同時にまた、客観的に作品をチェックしている批評家でもあるのでしょう。そして、何より、インタビュー相手の作品を愛しており、とことんまで味わい、喜んでいる。それが、作家の魅力を掘り出す力となっているのでしょう。
ただいまロンドン・オリンピック真っ最中。
我が家では(僕がかかさず見るサッカーと、妻の好きな内村クンの体操をのぞけば)あまり夢中でみることはないのですが、それでも一日中テレビからはオリンピックの画像が流れてくるので、茶の間の話題となることがあります。
先日、妻と息子が話していました。
「なんで、あんなこと訊いてるんだろう。」「このインタビュワーはお粗末すぎるね。」
そうそう、僕もよくそう思います。
今目の前で行われていた試合をちゃんと見ていたのか?
この選手のキャリアとか、ここ数試合の結果とかちゃんと把握しているのか?
今聞きたいことはそんなことなのか?
「応援してくださったファンの皆さんがたの力に励まされました。ほんとに感謝したいです」といった選手に、
「それでは、会場とテレビの前で応援している皆さんにメッセージをおねがいします」って、今言ってたこと聞いてなかったの? などなど。
サッカーのテレビ放送においても、「お粗末インタビューをどうにかしてくれ」という声は、以前から繰り返しあがっているものなのですが、一向に改善の兆しがありませんね。
根本的な問題は二つあって、一つは準備不足。つまり知識不足、勉強不足です。
もう一つは、アドリブができないこと。インタビューは生きた人間を相手にしているのであって、究極のライブ演奏。ぜえぜえ息をしている相手を見て、その目を見て、今この場でことばになるべきことを読みとらないといけません。だから、柔軟性、即興性が必要なのですが、事前に用意した質問条項を追うことしか頭にないので、その場にそぐわない質問になってしまいます。
テレビ局は、目鼻立ちの良いアナウンサーに適当にわりふっておけばいいだろう、ぐらいに思っているのでしょうか。インタビューという高度な能力を必要とする一分野に対する認識と敬意がまるで感じられません。
などと、偉そうに書きつづったところで、ふと思うのです。
説教者(牧師)というのは、聖書の声を深くからひきだし、もう一方で、聴き手(会衆)が現実の生の中で抱えている声を同じように深くからひきだし、いわば良いインタビュワーになることによって、そこに神の声が響くようにする者ではないか。
神様が「やれやれ、わたしの言いたいことはまったく聞いてくれないな」と嘆息し、礼拝者たちが「やれやれ、こちらの聞きたいことに全然ふれないで、どうでもいいことばっか聞いてるな」と失望するようなインタビューをしてはいないか。
柴田元幸さんのようなインタビューを目指さねば!
がんばれ、オリンピックのインタビュアーたちよ。
がんばれ、説教者。がんばれ、自分(^v^)