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2018年 08月 17日
次の日曜、8月19日は僕(ボクシ)ではなく、長老のお一人が講壇に立ち、聖書からのメッセージを語ります。
牧師とはまた違った視点からの聖書の読み解きや、御自分の体験からくる信仰のめぐみが語られることと思います。ご期待ください。 僕は、四谷新生教会という四ツ谷近くにある教会に説教者として呼ばれています。四ツ谷にある大学に四年間通いましたので、四ツ谷は青春の思い出に満ちたところ。カトリック麹町教会(聖イグナチオ教会)の静謐、ニューオータニ前まで続く桜美しき土手、迎賓館あたりの異国的情緒、駅前の「しんみち通り」の飲食店街・・・ いい所ですね。 でも、四谷新生教会にはまだ行ったことがありません。楽しみです。 内田長老も僕も、聖書日課から箇所を決めたので同じマルコによる福音書12章1-12節からの説教です。 内田長老の題は「ぶどう園の農夫」。僕は「捨てられた石に」。 フォーカスしているところは違いそうですね。 同じテキストからも、まったく異なる声が響きだすというのが、聖書の魅力の一つです。 どこの教会でもよいのです。次の日曜の朝、ぜひお近くの教会へ足を運んでみてください。 :::::::::::::: #
by boxy-diary
| 2018-08-17 10:25
| めぐみな人々
2018年 08月 08日
膵臓がんのため入院中であった翁長雄志沖縄県知事が、今日の午後、逝去されました。
深い悲しみを覚えます。 保守と革新を越えて、沖縄を一つにして導くことのできる、胆力のある政治家でした。 沖縄は大切な人を失いました。 先月27日には、辺野古新基地建設のための公有水面埋め立て承認の撤回を表明したところでした。沖縄県民を代表する者として、覚悟を決めての撤回表明です。 人間として正しいことは何か。政府の者たちはよく考えてほしい。 いつも醜悪な表情を浮かべている与党の大臣どもよ、政治家として後世の尊敬を得たいと願うのなら、翁長氏に学び、倣ってほしい。 沖縄の人たちを羨ましいと思うことの一つは、彼らは、人間として尊敬できる立派な政治家たちを生み出してきている、ということです。 ********* #
by boxy-diary
| 2018-08-08 22:16
| 今この世界で
2018年 07月 30日
7月29日の週報の記事より。
奏楽者のFさんが右足の怪我のために来会できず、またもう一人の奏楽者Mさんはちょうど旅行中でした。そこで、予告していた賛美歌を変更し、ギター伴奏とア・カペラで歌うこととしました。また、前奏と後奏は無しとしました。 いつもと少し異なる礼拝になりましたが、そのような事情ですのでご理解ください。 (普段ささげられている奏楽奉仕の有り難みを知る時でもあります。) Fさんの怪我の回復のためにお祈りください。 というわけで、急な対応を迫られつつの礼拝をささげました。まあ、小さな教会にはこういうハプニングがあるのですよね。(「礼拝とハプニング」というのは礼拝学上、結構大事なトピックだと僕は思っています。ハプニングに事柄の本質が現れる、ということがよくあるのです。) 昨日は、ギター伴奏にしたり、無伴奏で歌うなどしてなんとか切り抜けました。自分たちでしっかり歌わねばという緊張感が生まれるのと、(音程が徐々にさがったりしながらも)仲間の声が聞こえるという意味では、たまにこういう礼拝をするのも良いですが、でもやっぱりオルガン・ピアノがないのは淋しすぎる。 鍵盤楽器による伴奏の支えがなかったら難度の高い曲は選べなくなりますし、前奏と後奏という礼拝において重要な役割を果たしている音楽がないというのは、礼拝にとって大きな欠けです。 奏楽者さま、いつも本当にありがとうございます。たった二名の交代で弾いて頂いているというのを申し訳なく思っています。三人目の奏楽者が与えられることを祈っています。待っているだけではなく、養成にも力を入れなくては。 :::::::::: #
by boxy-diary
| 2018-07-30 17:36
| めぐみな人々
2018年 07月 30日
2018年7月22日めぐみ教会礼拝説教
「体の部分と同じように」 荒瀬牧彦牧師 コリントの信徒への手紙一 12章14-26節 パウロは徹底して、教会を「からだ」的に理解しました。ですからコリントの教会で、「霊的熱狂主義者」と後代の聖書学者たちが呼ぶような人たちが、威張って力を振りまわしている様子を知り、黙ってはいられませんでした。 よく言えば信仰熱心、悪く言えば傲岸不遜なその人たちは、自分たちこそが最高の霊的賜物を受けていると自負し、「劣った」人たちを裁いていたのですが、それは大きな間違いであるとパウロは言うのです。人前に立ち指導する賜物もあれば、台所で立ち働き食事を作る賜物もあり、病人の世話をする賜物もある。体は動かせなくても執り成しの祈りをずっと捧げるという人もいます。地味な形で見えないところでも霊的賜物が捧げられ、それで教会という体が動いているのです。 人間に優劣をつけるのは人の勝手な思いです。体と同じように、信仰共同体にも多様な肢体があり、その中には弱い部分や障がいをもった部分があります。それは不要な部分ではありません。「神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれた」のであって神が望みのゆえに存在するのです。弱さは体全体にとって重要な一部なのです。 この箇所から私は二つのことを考えます。一つは、奢りと妬みという表裏一体の問題です。動物としての我々には生き残りをかけて他者を蹴落すという習性が残っているのでしょう。しかし同時に、わたしたちは「神のかたち」としての尊厳を与えられた存在ではありませんか。泣く者と共に泣き、喜ぶ者と共に喜べる者ではありませんか。「霊の人」として、わたしたちは奢り・妬みという問題を克服していかなければなりません。人を蹴落とすことは、共同体を滅ぼし、自分自身の人間らしさをも破壊することなのですから。 もう一つは、キリストの体が本当に一つの体として生きるなら、その姿はこの世に対しての証し・メッセージとなるということです。ちょうど2年前、やまゆり園で19名が刺殺され26名が重軽傷を負うという事件が起こりました。犯人は、社会のために正しいことをしたと今でも考えているようです。彼は、「意思疎通が取れない人間」は生きていないほうがいいと主張しました。自分で勝手に「人間」の線引きをしたのです。また彼は、重度障害者を抹殺する理由として「世界経済の活性化」をあげました。税金を無駄に使って経済成長を阻害するなというのです。こんなひどい主張を公然と認める政治家はいないでしょうが、しかし、この国が近年やっていることを見ると、彼の主張と同じベクトルを示しているのではないですか。恐ろしいことです。「弱い人はいないほうが全体のため」という考えに同調する者は、遅かれ早かれ自分自身の存在を否定されることになります。 *************
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by boxy-diary
| 2018-07-30 17:23
| 礼拝説教の要旨
2018年 07月 24日
次の日曜(7月29日)、午後1時半から2時半まで、アップル夏のこども会を開催します。
かき氷、すいかわり、(そしてちょうど時期が合えば・・・多分合いそう・・・)ぶどう狩り、歌、ミニメッセージ。 楽しそうな内容でしょ? これは案内ハガキです。僕が作ったので、パッとしませんが(涙) ぶどうは、デラウェアのほうは収穫時期がまだまだ先そうですが、マスカットベリーAのほうは、なかなかいい感じに育っています。 先日は、二晩続けて、ぶどう泥棒にやられましたが・・・。 朝起きて玄関をあけると、食べかすが散乱。やれやれ。 泥棒さん、これを読んでいたらお願いです。 次の日曜、こどもたちに取って食べさせたいので、もう取らないでね! #
by boxy-diary
| 2018-07-24 11:57
| 行事
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