我らの闇の中に来る光 |
若い人たちに、自分が最も大切だと考え、信じている事柄について話ができるのは大変嬉しいことです。どうやれば伝えられるだろうとあれこれ考えるのは勉強になりますし、若者のしなやかな感性に触れられるのも楽しいことです。毎回レスポンス・ペーパー(今どきは「リアペ」=リアクション・ペーパー、と言うらしい)を書いてもらいます。後期の授業は大きなクラスなので読むのも一苦労ですが、「鋭い!」とか、「素直だなあ」とか、「こんなことも知らないのか!?」とか、「こりゃ寝てたね」とか・・・ なかなか面白いですよ。
さて、その学校から12月18~22日の「週報」の原稿を頼まれていたので――ということを忘れており、昨晩になって慌てて――書きました。クリスマスをめぐる自分の「証し」のような内容なので、ここにも載っけさせてもらいます。題が必要というので、ちょっと気取って英語で A Light in Our Darkness (我らの闇の中の光)としてみました。
A light in our darkness
私は大学生だった19歳の時に洗礼を受けました。教会に通うようになって初めて迎えるその年のクリスマスは、とても楽しみでした。聖歌隊に入って張り切って練習しました。ところが23日になって、親知らずからばい菌が入り、顔は腫れ上がり異常な高熱が出て、独りベッドに寝込むという悲惨なイブとなりました。神様を恨めしく思いながら真っ暗な部屋で唸っていたら、夜遅くに、外から歌が聞こえてきました。「天使が歌ってる?熱のせいで頭がおかしくなったかな?」。しかし幻聴ではないようで歌声は続きます。少したって、誰かがうちの前で賛美歌を歌ってるのだと気づき、、パジャマの上にガウンを羽織って飛び出すと、路上で聖歌隊の人たちがニコニコしながら歌っていました。キャンドルライト・サービスの後、車に乗って、キャロリングに来てくれたのでした。あの時の嬉しさは決して忘れません。
それから何回クリスマスを迎えたことか。夜中じゅうキャロリングに歩いて盛り上がった年、降誕劇に入れ込んで大成功に満足した年、牧師として洗礼を授ける人が何人もいて嬉しかった年・・・ 幸福で輝かしい記憶も良いものですが、でも心に深く残っているクリスマスといえば、そういう明るいものより暗く悲しい中で迎えた年の記憶です。きっと、暗さや辛さや心細さの中にいた時のほうが、闇にともる小さな灯火をはっきり見ることができたのでしょう。
その昔カナダに旅行した時、画廊で目にしたクアレックという人の絵に心を惹かれました。工事現場のプレハブ、困窮者支援のスープ・キッチン、故障して路肩にとまっている車、といった光景の中に、赤ん坊を抱いた女とその夫らしき男がいるのです。どれも、20世紀のカナダに現れた聖家族を描くものでした。神の御子であり王であるキリストは、暗さ辛さや心細さの中で震えている人々のもとに来てくださった。それこそがクリスマスの喜びなのだ、と知りました。キリストは、きらめくイルミネーションから離れた所でうずくまる人に、「私があなたと共にいるよ」と声をかけてくださる御方、闇の中に来られた光です。
*カナダ人の画家ウィリアム・クアレックについては
こちらをご覧ください。 William Kurelek The Messanger
それから、星野正興先生の味わい深い文章の添えられた『ひとりじゃないよ ウィリアム・クアレックの絵とともに』という素敵な絵本があります。これは、まさに僕がカナダで見た<現代のただ中にいる聖家族>の絵本で、僕の愛読書の一つです。