証しが用いられる時 |
昨晩(木曜の夜)、夕礼拝の奨励当番であったY兄が、昨年6月から始めたスーパーとコンビニでの二つの仕事の話をしてくれました。辛いこともあって辞めたくなることもあるけれど、ここまで続けられて良かった。困っていた時期に、神様がこの二つの仕事を与えてくださったことを心から感謝している、という証しでした。寒い雨の夜で、レギュラーメンバーの欠席もあり、聴き手は僅かでしたが、心暖まるtestimonyでした。
それを聴いていたZ姉から、今朝メールをもらいました。「今日から新しいパートの研修が始まります。初めての業界なので不安に感じていたところに昨日夕礼拝のYさんのお話で、とても勇気づけられました。神様のお招き感謝です」とのこと。コンディションがあまり良くなかったのだけれどやっぱり夕礼拝に出て良かったという内容でした。
神様のお働きは人の思いを越えていますね!
アモス書の難解な箇所からのメッセージが手に負えなかったとしても、それで奉仕を辞退せず、自分の生活からの証しを自分の言葉で語ることで、それを聴いた誰かが神様からの力を受けて、励まされて仕事に出かけていく、ということが起こる!
夕礼拝の奨励という奉仕・・・確かに大変ですが、素敵な業です。恐れずに、新しい方も加わってくださることを願っています。