聖書に親しんだ人々 (浜崎孝牧師の説教要旨) |
めぐみ教会主日礼拝 説教「聖書に親しんだ人々」
説教者: 日本中会牧師 浜崎 孝
テモテへの手紙二 3章10~17節
申命記 6章4~9節
使徒パウロは、「アンティオキア、イコニオン、リストラで……ふりかかったような迫害と苦難」に言及しました。そして、「そのような迫害にわたしは耐えました」(3章11節)と言っています。誰の人生にも、それに耐え、それから救い出されることを必要とする試練や苦難が遭遇して来るのです。ですから、パウロ先生は苦難をもいとわない祈りの路づくりを奨励し、試練や苦難を乗り越え、それを感謝や喜びに変える生き方は聖なる読書生活にかかっている……と語りかけたのです。
使徒パウロは愛弟子のテモテに、「あなたは、自分が学んで確信したことから離れてはなりません」と勧めました。テモテ兄は充実した聖書の読書生活を重ね、そこから、「あなたは、わたしの教え、行動、意図、信仰、寛容、愛、忍耐に倣い、……迫害と苦難をもいといませんでした」と評価されるような信仰生活が形づくられたのです。
テモテ兄は、「幼い日から聖書に親しんできた」……。それはどのようなものだったかを教えてくれるのが、申命記6章6節以下です。幼いテモテは、純真な信仰を宿していた祖母ロイスと母エウニケから、「家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これ(御言葉)を語り聞かせ」(7節)られたのです。「親しむ」というのは、「常に接してなじむ」ことですが、テモテ兄は常に聖書に接してそれに馴染む生活を重ねたのです。「親しむ」の「親」という字には、「愛する、慈しむ」という意味もあります。いつも聖書に接して御言葉を愛する生活……それがロイス姉やエウニケ姉、テモテ兄やパウロ先生たちの祈りだったのです。
八木重吉は、聖書に親しむことを真剣に祈り求めた人でした。英語の教師でもあった八木兄は、独学でギリシア語の聖書を読みました。彼の詩について高村光太郎は、「彼のはかない生涯から、こんなに人の魂を慰めてくれる息を吐いて往ってくれた事はありがたい」と語りました。八木兄の詩を読んで、自殺を思い止まったという人もいます。聖書に親しむ生活は、隣人への良い奉仕にもなるのです。私どもも聖書に親しむ人になって、神さまと隣人に個性的な奉仕をつとめましょう。「主は備えてくださる。」