ドゥトラ!ドゥトラ! ドゥ!ト!ラ! |
主イエス・キリストの十字架と死を深く覚える大切な一週間。
木曜には洗足木曜夕礼拝、金曜には受難金曜夕礼拝を、いずれも午後8時から行います。
お近くにお住まいの方はぜひご参加ください。
受難週のあと、喜びのイースターを迎えます。
昨日は、イースターの一週間前の日曜で、「棕櫚(しゅろ)の主日」(パーム・サンディ)と呼ばれます。主イエスがエルサレムに子ろばに乗って入場し(*)、それを群衆が、枝を手にもって歓呼して迎えた、ということに由来しています。
*「王」は戦争の力を象徴する「馬」に乗って入城するのでしょうが、主イエスは、敢えて、荷役に使われる「ろば」、それも小さなろばを用いられたようです。平和の王にふさわしいことでした。
午後の「マルコの会」で、2月末に沖縄で行われた共同神学研修の報告をさせてもらいました。ふだんマルコの会は少人数のほとんど男性ばかりの聖書研究ですが、今回は特別企画ということで、たくさんの女性を含む多くの方々(というか、昼食後も教会に残っていた全員)が、僕の発表をきいてくれました。
パワーポイントを使い、普天間基地野嵩ゲート前での「ゴスペルを歌う会」(平和の歌を歌うという仕方で、基地反対、オスプレイ配備反対を訴えている活動)の写真、大山ゲート前での朝の抗議行動、普天間基地にすぐ隣接している保育園・小学校、沖縄国際大学のヘリコプター墜落現場、チビチリガマ、シムクガマ、恨の碑、神学研修会場などの写真を見せながら、僕が沖縄で聴いてきたこと、見てきたこと、考えたことをお話ししました。
あまりに大きく、重く、そして大切なことなので、これからも継続して時間をかけて、考え、書き、語り、そして自分なりの行動へと昇華させてゆきたいと思っています。
それを終えると、慌ただしく神奈川県大和市にある中会事務所(K教会の中にあります)へ車で移動。車中ではW神学生と説教について語らいました。特に、詩編を説教することのむずかしさについて。(ちょっと、W神学生に厳しいことを言い過ぎたかも、と後で反省。)
最初に司法委員会があって、「訓練規定」の細かい原稿確認作業。目が疲れる仕事。それが終わって約20分後には運営委員会(宗教法人法上の用語でいうと「責任役員会」。)これは夜遅くまでかかるし、何かと神経を使う委員会。二つ終えるとぐったり疲れます。
しかし、昨晩は、この二つの委員会の間にすばらしいプレゼントを神様から頂きました。うれしいことがあったのです。
K教会前の通路で、3階で行われているブラジル人集会に向かうらしい男性とすれ違いました。ちょっとお洒落な恰好をしています。ちらっと顔を見て、「あれ、この人知ってるぞ」と思いました。その人が建物の中へ消えた後、「ドゥトラだ!」と叫んでしまいました。
一緒にいたN長老に、「ねえ、今のドゥトラだよね」と興奮して話しかけると、「ドゥトラって誰よ?」というつれない返事。
なんて非常識。
ドゥトラを知らないなんて、何考えてるんでしょうか?
物を知らないにもほどがある。プンプン。
え? あなたも知りませんか?
横浜Fマリノスの背番号5、左サイドバックのドゥトラですよ!
昨年、左サイドバックの人材難に悩む我が横浜Fマリノスが、5年ぶりにブラジルから呼びもどしたのです。
マリノスがJ1で連続優勝をした黄金時代に、左サイドの強さをささえた名選手。
彼はまた、大変サポーターに愛された選手で、帰国する時には大勢のファンが空港に見送りに行ったそうです。
6年前の帰国時に、サポーターからの寄せ書きをプレゼントされたドゥトラ選手
僕もまた、彼のプレイが好きで、プレーヤーTシャツは彼のものをいつも買ってました。(今でもサッカーをする時、着てますよ。)
ドゥトラ氏はクリスチャンで、K教会で行われているブラジル人集会によく来ているというのは、以前に聞いていました。その頃K教会で研修していた、国立の巨人Karaken氏が、教会フットサル大会で彼のチームと対戦したと威張るのを、ねたみつつ聞いたこともあります。
そんなドゥトラ選手とすれ違った・・・・ああ声をかければ良かった・・・・
迷いましたが、挨拶したいという思い断ち難く、3階へのぼっていきました。
すると、うまい具合に、集会室入口のドアのすぐ横に彼がいるではありませんか。
思いきって接近し、「ドゥトラさんですか。私はあなたの大ファンです。ユニフォームも『ドゥトラ5番』です。マリノス強いですね。昨日も勝ちましたね[土曜日に甲府を撃破]。がんばってください!」と伝えました。そしてがっちり握手。
ブラジルの農村で、畑仕事をしているオジサンといった感じのドゥトラさん。いかにも人の良さそうな、あたたかい笑顔で応対してくれました。
忙しかった日曜。その合間に与えられた、ハッピー・モーメントでした。
沖縄で出会ったあの方この方に、ドゥトラ選手に、そしてこれをここまで読んでくださったあなたに、十字架の愛と、復活の力が、豊かに注がれますように。