2013年 02月 21日
ジョタカ村のバナナ |
先ほど、昼食後のお茶をすすりながらFacebookをのぞいたら、ブラジル・バイア州マッタ・デ・サンジョアンの石塚惠司先生が、画像をアップされていました。これです。
添えられていたメッセージ
「切り倒されたバナナ でもご安心ください。そこから彼らの新しい人生が ならぬバナナの新しい生のはじまりです。
わたしもこう生きていくぞ!と覚悟を新たにしました。」
日本中会公式サイト マッタ・デ・サンジョアン伝道教会の紹介
石塚惠司先生の写真満載ブログ「ブラジル・バイア・ジョタカ村からボンジーヤ」
決して容易ではない、かの地での宣教。しかし、その土地で「わたしもこう生きていくぞ!」と決意を新たにしておられる宣教者の姿に、尊敬の念を覚えます。
そして、バナナ。
切っても切っても生えてくるバナナ。これはよ~くわかるのです。
実は教会のお隣りさんの庭先に生えているバナナ。この生命力がものすごくて、葉をどんどん茂らせてくるのです。教会の掲示板の上にも覆いかぶさってきます。隣家の方が「どうぞ切ってくださいね」と以前に言ってくださってので、それ以降、伸びてきた分は床屋のようにチョキチョキと切らせて頂きます。しかし、1カ月もたつとまた伸びてくるのです。すごい早さ。
お隣りさんも気にしてくださって、何度か根から伐採してくださいました。しかし地下茎が残っているのでしょう。時間はかかりますが、また確実に生えてくるのです。
ただ、ジョタカとは違い、こちらのバナナは実がならない(+o+)
まあ、亜熱帯と化している近年の東京ですが、さすがにバナナやマンゴがなるほどには暑くないってこと。これはバナナを責めてもかわいそうですが。
邪魔者扱いしてきたバナナ・ツリーですが、石塚先生のメッセージにふれて反省。
見方を180度変えましょう。
このバナナは、我が人生の師。そして、我が教会の宣教への模範。
(こうやって、比喩的な読み取り方をするのはイエス様的ですよね)
どれだけ叩かれ、そがれ、切られても、どっこい信仰の根は生きている。
だから、再び青々とした大きな葉を茂らせる。
根っこがあれば、神様からの力が必ず送り込まれるのだから。
そして、いつの日にかは・・・・終末論的希望として!・・・・・東京でもバナナが実る
かもしれない。
そう思うと、お隣のバナナ君もなんだか愛おしくなってきます(^v^)
添えられていたメッセージ
「切り倒されたバナナ でもご安心ください。そこから彼らの新しい人生が ならぬバナナの新しい生のはじまりです。
わたしもこう生きていくぞ!と覚悟を新たにしました。」
日本中会公式サイト マッタ・デ・サンジョアン伝道教会の紹介
石塚惠司先生の写真満載ブログ「ブラジル・バイア・ジョタカ村からボンジーヤ」
決して容易ではない、かの地での宣教。しかし、その土地で「わたしもこう生きていくぞ!」と決意を新たにしておられる宣教者の姿に、尊敬の念を覚えます。
そして、バナナ。
切っても切っても生えてくるバナナ。これはよ~くわかるのです。
実は教会のお隣りさんの庭先に生えているバナナ。この生命力がものすごくて、葉をどんどん茂らせてくるのです。教会の掲示板の上にも覆いかぶさってきます。隣家の方が「どうぞ切ってくださいね」と以前に言ってくださってので、それ以降、伸びてきた分は床屋のようにチョキチョキと切らせて頂きます。しかし、1カ月もたつとまた伸びてくるのです。すごい早さ。
お隣りさんも気にしてくださって、何度か根から伐採してくださいました。しかし地下茎が残っているのでしょう。時間はかかりますが、また確実に生えてくるのです。
ただ、ジョタカとは違い、こちらのバナナは実がならない(+o+)
まあ、亜熱帯と化している近年の東京ですが、さすがにバナナやマンゴがなるほどには暑くないってこと。これはバナナを責めてもかわいそうですが。
邪魔者扱いしてきたバナナ・ツリーですが、石塚先生のメッセージにふれて反省。
見方を180度変えましょう。
このバナナは、我が人生の師。そして、我が教会の宣教への模範。
(こうやって、比喩的な読み取り方をするのはイエス様的ですよね)
どれだけ叩かれ、そがれ、切られても、どっこい信仰の根は生きている。
だから、再び青々とした大きな葉を茂らせる。
根っこがあれば、神様からの力が必ず送り込まれるのだから。
そして、いつの日にかは・・・・終末論的希望として!・・・・・東京でもバナナが実る
かもしれない。
そう思うと、お隣のバナナ君もなんだか愛おしくなってきます(^v^)
by boxy-diary
| 2013-02-21 13:41
| カンバーランド長老教会