ギレアドには乳香がある |
今日の旧約聖句はエレミヤ書8章22節
「ギレアドには乳香がないというのか
そこには医者がいないというのか。
なぜ、娘なるわが民の傷はいえないのか」
朝の食卓でこれを読んでからというもの、頭の中で黒人霊歌の名曲There is a balm in Gileadが流れ続けてやまない。
誘惑に抗しきれず、YouTubeへ行き、マヘリア・ジャクソン、ジェシー・ノーマン&キャスリーン・バトルといった大御所たちの、入魂の歌唱に聞き入った。
僕にとっては、彼女らの歌そのものが癒しの乳香のようである。
まずは、マヘリア・ジャクソンによるスローで抑制の効いたThere is a balm.をご紹介。
ギレアドというのは、ヨルダン川の東側にある地域の名。
辞書的な解説をすれば、「標高の平均が660m。上部は石灰岩で覆われ、ところどころに玄武岩がみられる。聖書時代には一面濃い森林で覆われ、毛の長い山羊の山地としてまた、エリコバルサムの低木から作る薬効のある乳香で有名であった。」
旧約聖書でギレアドの乳香が言及されるときは、それがあれば癒されるという肯定的な意味においてではなく、むしろ、癒すものなどもう何もなくなってしまった民の痛みと恐れを表現するために用いられるのである。
しかし、アフリカ系アメリカ人のスピリチュアルにおける「ギレアドに乳香あり」では、乳香がイエス・キリストによる癒しの比喩として、それがあるのだと肯定的に歌われる。
何が、罪に病んだ魂に癒しをもたらすのか。
強調されているのは、奇跡でも復活でもなく、イエスの死であり、そこに現れ出た彼の愛である。
歌詞の大意を翻訳すればこんな感じである。
[ ]内は伝統的歌詞から派生したヴァリアント。
*ギレアドには乳香がある
傷ついた人を丸ごと癒す乳香が。
ギレアドには乳香がある
罪に病んだ魂を癒す乳香が。
私が落胆に沈み
やってきたことすべてが虚しかったと思えるとき
聖霊が私に臨み
魂を生き返らせてくださる。
* くりかえし
ペトロのように説教できなくても
パウロのように祈れなくても
[天使のように歌えなくても
パウロのように説教できなくても]
イエスの愛を語ることはできるのだ。
主はすべての人のために死んでくださったと。
* くりかえし
[決して落胆してはならない。
イエスがあなたの友なのだから。
知識に欠けているならば
主が惜しみなく与えてくださる。]
キャスリーン・バトルとジェシー・ノーマンの豪華な競演をご覧あれ。
僕はこれのCDをもっているのだけれど、今日はじめて映像で見ることができて幸せ。
そうそう、大江健三郎の『燃え上がる緑の木』(だっけかな?)では、あの教会(のようなもの)の聖歌隊(のようなもの)がこれを歌うんだよね。かなり重要な暗示になっていたように記憶している。