いのちの山河上映会終了 |
2週間前、事務局のT谷さんから「このままでは大失敗は必至!」という悲鳴まじりの電話がかかってきたが、その後2週間のボランティアの方々の頑張りはすばらしく、昨日は計823名の来場を得ることができた。僕は他の用事で追われていて、ほとんど何もお手伝いできなかったが、中心的な10何人かの人たちが猛烈な頑張りをみせてくださって、その追い込みが見事に功を奏したのだ。
夜の部の(主催者を代表しての)挨拶でも言ったのだが、映画会のためになぜにこれほどのエネルギーをわれわれが注ぐのかといえば、それはもちろん金儲けのためでなく、映画の興行の成功のためでもない。この映画が発信している「いのちの価値に格差があってはならない」、「誰もが人間らしく、すこやかに生きることができる社会を作る」というメッセージを伝えるため。純粋にそのことのためである。
憲法9条、25条が目指すところを現実のものとしていくためには、「人が人を思う」気持ちをもって行動し、それによって憲法に息をふきこまなければならない。
半世紀前に、豪雪・貧困・無医村の岩手県沢内村で深澤村長とその同志たちがやったのはまさにそのこと。今回の映画会で走り回った人たちがやったのは、それに連なることだと僕は思う。
沢内村でも不可能だと思われたことが次々実現していったし、われわれの映画会だって、「これはどうなることか」と思うところから、試写会を含めれば1000名近い人たちに映画を見てもらうところまで漕ぎ着けた。
T谷さんが「底力」ということばを使っておられたが、「人が人を思う」気持ちは、小さく無力なようでいて実はものすごい底力をもっている。あなどってはならない。
個人的に、とても嬉しかったのは東小金井から観に来てくださったK先生がものすごく感動して、「泣けたよ~!」といって喜んでくださったこと。今朝電話があって、「昨日会場で買った『村長ありき』という本、すぐに一気に読んだよ。教会の人たちにも読ませたいから、あと3冊欲しいんだけど、どうすればいいかな」とのこと。Amazonで調べたら在庫があるようなので、「国立の巨人牧師のブログにはってあるアフィリエイト・バナーからAmazonに入って、書名で検索してください。古くてもよければ、かなり安くなってる古本もあるみたいですよ」とお答えした。
(>国立の巨人牧師、バナーが洋書指定になっているようで、最初に「和書」に換えなきゃいけんかったよ。和書を買う人には面倒じゃないか?)
今、Amazonを改めてチェックしてみたら、安いのから順に3冊なくなっていたから、K月先生、早速注文されたのだろう。まあ深澤村長の思想と行動にはそれぐらい我々を感動させるものがあるということだ。
財源がない。人がいない。現実は厳しい。
零細な市町村の首長や幹部はすぐにそういうだろう。
しかし、それは、人の命を守る闘いをあきらめる口実にはならない。
深澤村長はそれを僕らに教えてくれた。