めぐみ「教会」設立 |
これまで、中会の伝道所規定上では、伝道所と教会の中間にあたる「伝道教会」という種別であった我々が、6月の中会会議で「種別変更」を認められ、ついに“フル規格”の(?)「教会」となったのだ。
「伝道教会」と「教会」とで何の違いがあるのかといわれれば、教会員にとってはっきり認識できる違いは皆無に等しい。ただ小会にとっては、これまでは中会伝道委員会の監督と保護のもとにおかれ、次年度計画・予算、前年度決算などを事前に伝道委員会に提出し、伝道委員会のチェックを経て中会会議の承認を得るというプロセスが求められたいたのが、教会として自立した今は、その必要がなくなったという違いがある。
また、「伝道教会」というのは、必要が生じた場合には中会への財政援助を申請することができたが、これからはそういうわけにはいかない。要するに、「大人になったのだから自分でしっかりやりなさい」ということだ。
中会との関係でいうとそういうことだが、もう少し本質的なことをいうと、生み出され、育てられた者として、これからは生み出し、育てる側に育っていくという意味がこの種別変更にはあると思う。
朝山先生が説教の中で、ユーモアをこめつつ上手に説明してくださった。
「伝道教会」から「伝道」がとれて「教会」になった。では、もう「伝道」しなくてよい?いやいや、そういうことではなくて、伝道支援の対象としてみられていたのが、そうではなくなった。むしろ、これからがいよいよ伝道の本番なのである。
教会員にしてみれば、もうとっくに教会だと思っていたところに、いまさら「教会になりますよ」といわれてもなかなかピンとこないところがあった今回の種別変更。
いかにこの出来事を教会全体にとって意味のある節目とするか、ということが小会の課題であったのだが、大変幸いなことに、26日の式とお祝いは、教会にとっての「成人式」の意義をみんなで共有する豊かな時となったと思う。本当に感謝である。
執事会をはじめとして、多くの教会員が準備に奔走してこの日に備えたし、中会から、中会内の他の教会からも多くの祝意が寄せられ、これが中会全体にとっての喜びであることも実感した。また、Facebookに祝会の写真を紹介したところ、アメリカのカンバーランド長老教会の友たちからも、お祝いのメッセージと、神様への感謝の言葉をいくつももらって感激している。
ここにも少し写真を掲載して、当日の雰囲気をお伝えしたい。
これが今回の大きな目玉。「ビジョン・バナー」である。めぐみ教会の礼拝に出席している人たちに、ぶどうの粒を模した円形の布をわたして、それぞれの心に描く「未来の教会」ビジョンを言葉や絵で表現してもらった。それをはりつけて、一つの大きなぶどうの房に。主イエスというぶどうの木から生み出されるぶどうの実!それぞれの教会観、心にある願いがあらわれていてとても面白い。
「どうせだから当日おみえになったゲストの方々にも描いていただきましょう」という執事さんたちの希望で、急遽、粒を作り増しして、26日午後になった粒が増えた。これもまた嬉しいことである。教会はキリストのものであり、みんなのものなのだから。
礼拝終了後に外で撮影した集合写真。これは、午前中の主日礼拝に、中会の他教会から参列してくださった皆さん。(司式者の潮田先生は、ガウンを脱ぎに牧師室に行っておられたようで、ここにおられませんでした。ごめんなさい!)
この方が潮田先生です。先生からはお祝辞をいただきましたが、そのお話しは先生のブログに掲載されているので読むことができます。牧師の部屋「教会設立(種別変更)祝辞」
めぐみ伝道所の最初の礼拝(1993年1月3日)にいた人たちには、ひとことずつスピーチしてもらいました。それぞれに、不思議な導きがあって、あの場に集められたのだなあと改めて思いました。たまたま居合わせたのではなくて、主なるキリストの召しがあって、必然的に呼び集められたののですね。
関口博さんと美樹さん。国立のぞみ教会からの4人の派遣メンバーのうちの2人でした。最初の5年間、本当に目覚しい働きをしてくださって、土台作りに大いに貢献してくださったご夫婦です。今は国立のぞみ教会に戻って地元国立で活躍しておられます。博さんは国立市長です。
熱く語るケンタ牧師。そうそう、2001年に伝道教会設立をした時には、神学生としてこの教会にいらしたのでした。牧師のひとり言 「教会設立式」
午後1時からの祝会には、めぐみ教会の「母教会」である国立のぞみ教会、そしてジョイント・ミッション(共同の働き)を共にする東小金井教会の人たちが駆けつけてくれました。のぞみ教会聖歌隊は賛美歌「主は教会の基となり」を奉唱。小学生からシニア世代までの幅広い年齢層。これぞ教会、という姿ですね。指揮は村上長老。どうもありがとうございました。
食事もおいしかった! モデルはChikako & James。
お祝いとくればこれでしょう。我らがプロ太鼓奏者、タチユキ君の演奏。これは1曲目の祝歌。2曲目は聖書・創世記に想を得たという創作曲「アダマ」でした。
聞き入る人たち。
主の豊かな恵みをいっぱいに受け、心地よい疲労感を味わった一日でした。各地の教会で、この設立式のことを祈りに覚えてくださった多くの方々にも感謝します。
本日繰り返し語られて、今回のテーマのようになった聖句を忘れずに進みます。
「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです」(新共同訳フィリピ3・14)
SURSUM CORDA こころを高くあげよ!