About this blog(ブログ紹介)いつもこれがトップになります |
カレンダー
メモ帳
<関心事>
キリスト教礼拝 宗教儀礼と人間成長 賛美歌・聖歌の歴史と神学 賛美歌(歌詞)を書くこと 説教の修練 ゴスペルやブルースを聴くこと M.L.キング牧師 黒人解放の神学 日本国憲法を守り活かすこと 沖縄の軍事基地をなくすこと 平和と正義を祈り求めること 横浜Fマリノスを応援すること サッカー日本代表を熱く語ること 玉蹴りをすること 最新の記事
記事ランキング
カテゴリ
画像一覧
以前の記事
2020年 12月 2020年 04月 2019年 06月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 more... 検索
その他のジャンル
|
2020年 12月 31日
自己紹介 荒瀬牧彦 Arase, Makihiko 1993年1月から2019年3月まで、東京都東大和市上北台にある「めぐみ教会」牧師を務めました。このブログも、めぐみ教会のホームページを補完するものとして用いてきましたが、2019年4月からはタイトルも変えて、個人的なブログとして時々書いていきます。(いくつもり。) 礼拝と賛美歌を愛し、平和を祈り求める一人の牧師の個人的なあれやこれやを綴った軽い日記としてお読みいただければ幸いです。 めぐみ教会は、石塚惠司(いしつか・けいし)先生が、2019年4月から後任の担任牧師が得られるまでの間、「代務者」として牧師を務めてくださっています。ぜひ礼拝や聖書の学びの会にご参加ください! 礼拝時間や連絡先については、以下のホームページをご覧ください。 2020年4月現在の私アラセは、日本聖書神学校教授(実践神学)、カンバーランド長老キリスト教会あさひ教会(横浜市旭区)協力牧師、NPO法人フレンドシップあさひのカウンセラーをしつつ、次なるミニストリーの場を祈り求めているところです。 #
by boxy-diary
| 2020-12-31 00:00
| 牧師の動静
2020年 04月 29日
信頼する友、松本敏之さんの説教集の紹介を、「本のひろば」4月号に書きました。でも、書店にも教会にも容易には行かれない状況が続いてますから、手に取って読んでくださった方はあまりおられないでしょう。聖書の面白さがよくわかる、誰にでも読みやすい良書なので、拙文をここに転載させてもらいますね。 <著者の良き賜物が遺憾なく発揮された説教集> 松本敏之著『神の壮大な計画 創世記37~50章による説教』 キリスト新聞社 四六判・194頁・本体1400円+税 病院の待合室のようなところで、ばったり出くわした知人と会話をして過ごさねばならないとしたら? もしそれが噂話や悪口や暗い話ばかりする人だったら憂鬱ですが、この本の著者のような人と遭遇できたら幸せです。温厚な笑顔で楽しい話を次々聞かせてくれるでしょう。物事や人間のネガティブな側面からも良いものや笑えることを発見し、明るい話題として前向きに語り、聴く人の心を暖めるという賜物が彼にはあるのです。某信仰誌の川柳欄の常連であり、また、奉職する教会の機関紙には必ず映画評論を設けてしまう程の映画通である著者は、他の人が見過ごすところにも重要なテーマや光るものを見出し、それを信仰や人生のメッセージに昇華して、わかりやすく語ってくれる人です。 説教においても、いや説教においてこそ、著者の良き賜物が遺憾なく発揮されています。『神の美しい世界』に始まる創世記説教集を私も愛読してきましたが、ヨセフ物語に取り組む本巻において、豊かな語りの魅力がいよいよ溢れ出ていると感じます。礼拝において生で聴くのが一番でしょうが、読む説教としても、また聖書研究のテキストとしても、旧約聖書から「福音」のメッセージを届けてくれます。 (あらせまきひこ=日本聖書神学校教授・カンバーランド長老キリスト教会あさひ教会協力牧師) #
by boxy-diary
| 2020-04-29 16:01
| 本・雑誌
2019年 06月 17日
久しぶりの投稿となりました。
5月初めからこれまで、いろいろなことがあって本当に大変な日々で、ブログに何か記すという心境ではありませんでした。まだ、もう少しそれが続きますが、今は明日の「キリスト教と平和」の授業に向けて静かな書斎で準備しています。 この授業ですが、聖書における戦争と平和、そして古代・中世のキリスト教における戦争観を扱ってきました。前回はアウグスティヌス、トマス・アクィナスの「正義の戦争」論やエラスムスの非戦論を紹介しましたが、リアクション・ペーパーを読むと、「正戦」理論のいかがわしさを批判するものが多くあり、「これは頼もしいぞ」という手ごたえを感じます。 これから、現代におけるキリスト教の戦争観や平和主義の思想と実践を見ていくわけですが、まずは、僕の最も尊敬する人物と言ってもよいマーティン・ルーサー・キング牧師の平和思想と実践を紹介したいと思います。とりわけ、ベトナム戦争反対を公言してから彼が受けた強い批判と、しかし態度を曲げなかった彼の信念を学びたい。 時間があればですが、あの有名なワシントン大行進の際の「私には夢がある」演説も視聴したいですね。中学や高校でも学んでいるでしょうが、「キリスト教と平和」という文脈であらためてその深さと強さを味わってほしいので。 フル・バージョンは時間的に無理かもしれませんが、後半のみの短いものがよいかな。 こういう字幕付きのリマスター版もyoutubeにあるのですね。 今の若い子たちも聞き覚えがあるだろう――メディアも本来のこの歌が持つメッセージとまったく関係なくハッピー・バースディ・ソングとしてBGMでよく使っているので――この歌もできれば聴かせたい。これは、スティービーワンダーがキング牧師の誕生日をナショナル・ホリディとすることを強く求めて1980年に作り、大ヒット。その後、1983年に1月第3月曜が祝日として制定されるに至ったという歴史的意義を持つものです。 マヘリア・ジャクソンの歌う「誰も知らない私の悲しみ」 #
by boxy-diary
| 2019-06-17 11:02
2019年 05月 01日
この4月から、A学院女子短大で新しい授業を持つことになりました。
(といっても、A学院は短大を閉じてしまうので、今年が最初で最後なのですが。) 講義名は「キリスト教と平和」。 さて、僕がそんなことを教えられるのでしょうか。キリスト教史における平和思想の歴史や、キリスト教会と戦争、キリスト教会と平和のための行動を、アカデミックな厳密さと広い視野をもって教えられるかといえば、それは無理。 大学生の時、まだ新しい学問だった「平和学」に興味を持ち、クリスチャンになってからはキリスト教信仰と政治の関係に興味を持ってきました。神学大学の修士課程ではラインホールド・ニーバーの社会倫理を少しかじって、「キリスト教現実主義の研究」という題で修士論文を書きはしましたが、神学校を出て後はその領域の学びを深めることはしてきませんでした。 では僕に何ができるのか。現場の牧師として伝道する中で、戦争放棄を謳う日本国憲法の重要性を痛感し、憲法9条を守るための市民運動やキリスト者の平和活動に多少なりとも関わり、学び、考えてきました。また、遅ればせながら、今の日本で平和を語る時に絶対に避けて通れない、沖縄の軍事植民地化のことを、重い責任を負うヤマトの人間として考え、小さな声をあげてきました。 その視点から、「ここに大事な問題があるから、一緒に考えて!」ということはできるでしょう。 また、何より自分自身にとって、これまで断片的に仕入れてきた知識を自分の頭の中で整理し直して、キリスト教の戦争責任を問い直し、今後に向けての課題をはっきりさせる絶好の機会になるでしょう。 (人は、他の人に何かを教える時にそれを最もよく学ぶことになる、というのは本当なので。) というわけで、引き受けたわけです。 一回目はオリエンテーション。 学生たちに、「あなたの考える平和とは?(どんな表現の仕方でもよい) なぜ人類は恒久平和を達成できないか?(平和を阻む諸課題) 平和のためにできることは?(自分自身のコミットメントを含めて)」という三つの課題に対して、自由に書いてもらいました。 二回目は「宗教と戦争」。 まずは、宗教の負の側面から考えていかねばなりません。歴史上の戦争において、宗教は浅く深く、間接的にまた直接的に関与してきています。 参考にした文献は―― 『人はなぜ平和を祈りながら戦うのか?』星川啓慈・石川明人共著 『キリスト教と戦争 「愛と平和」を説きつつ戦う論理』石川明人著 『宗教はなぜ人を殺すのか』正木晃著 『キリスト教は戦争好きか キリスト教的思考入門』土井健司 など。 この授業では、現代における宗教と戦争の関係を如実に示す例として、「9・11後のアメリカにおいて大統領が示した宗教性と戦争」を取り上げることにしました。 ブッシュ大統領が国民に語りかけたテレビ演説や議会での一般教書演説、イラク戦争開戦を告げた演説などを動画で視聴し、そこにある宗教的要素を検討しました。 詩編23編の引用、世界における「光」である米国、善と悪の二元論、正義である自分たちの自由のための使命――ここには、あたかも牧師であるかのような表現がちりばめられています。 こららの演説は、当時、多くの米国民からの称賛を集め、「こういう時に、ブッシュのように信仰深い『神の人』が大統領でいてくれたことを神に感謝する」という声が聞かれました。 ***このあたりのことについては、栗林輝夫著『キリスト教帝国アメリカ ブッシュの神学とネオコン、宗教右派』(2005年 キリスト新聞社)が大変参考になります。*** 9月11日から3日後、ワシントンのナショナル・カテドラレルでの追悼礼拝で、また同日ロンドンで行われた追悼礼拝でも歌われたバトル・ヒム・オブ・ザ・リパブリックの動画も見せ、それがどのような意味と効果をもったか、ということについても触れました。 (ちなみに、この旋律はヨドバシカメラのCMソングだと思っていた人も多いので、南北戦争時に生まれた歌だと知って驚いた人が多数。僕も、この歌詞を改めて読んで、黙示録的色彩の濃さに驚きましたが。) 宗教というものが、誤った愛国心と敵愾心に駆り立てられようとする指導者や大衆に対して預言者としての役割を果たさねばならないという務めがあることと、しかし現実には、危機に際して大きな不安に陥っている国民に安心を与え、一致団結を助ける役割を期待され、そのように機能する面があるというアンビバレンツを抱えていることを思わされます。 「宗教は平和をもたらすものだ」と単純に言い切れるのなら苦労はないのですが、さにあらず。 罪深く迷いやすく、戦争から自由になれない人間たちが、争い傷つく中で、安心や癒しや絆を求めてすがる宗教。 人間の罪深さに対応した罪深さを持つ宗教。 一方では「剣を捨てよ」と説きながら、同時に、軍隊チャプレンを古くから提供してきた教会。 しかし、その罪深き次元にとどまることを「良し」としてしまうなら、聖書の表現でいう「神の国と神の義を求める」信仰とは無縁のものになってしまいます。 まずは、歴史的宗教としてのキリスト教が、戦争に関与してきたことを直視し、しかし、イエス・キリストを「平和の主」と信じ、それに従おうとしてきた人々の歴史をしっかりと学ばなければなりません。 我々はどの道を行くのか。 主イエスは言われました。「平和を造る人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」(マタイによる福音書5章9節 聖書協会共同訳) #
by boxy-diary
| 2019-05-01 17:13
| 教会・神学・宗教
2019年 04月 11日
少し遅くなりましたが、2月に発行された季刊雑誌『礼拝と音楽』に、「聖霊を歌う賛美歌」という原稿を書きました。
僕の書いたものは添え物という感じですが、他の方々の原稿は大いに読みごたえがあります。「聖霊ってよくわからない」という方は、(普段は礼拝・礼拝音楽の専門雑誌など関係ないと思っている方も)ぜひお読みください。 言葉で説明することの難しい聖霊なる神について、古代の教会の信仰から、礼拝式文から、教会の歴史から、そして自分自身の信仰と神学から、すぐれた書き手の方々が祈りをこめ、凝縮した短い中で本質に迫った文章が並んでいます。 #
by boxy-diary
| 2019-04-11 09:50
| さんびか
|
ファン申請 |
||