希望のない人が招かれる――柳沢美登里さんのお話し |
希望のない人が招かれる!『新しいコミュニティ』の教会」
イザヤ55:1~5、エフェソ2:11~18
柳沢美登里(声なき者の友の輪カタリスト・高座教会信徒宣教者)
バングラデシュに遣わされて28年。世界も日本も国内格差が課題となる時代です。午後の研修会で、北インドの最底辺層からイエス様に出会い、社会を新しい目で見て変革に導かれた人々に協力した働きをみます。そこで教会が担った役割を「新しいコミュニティ」という視点で共に考えようと、エフェソの信徒への手紙から「教会とは何か」をたどります。
宛先のエフェソの経済の繁栄は、奴隷から搾取する商人たちを益し、民衆は日々の不安を忘れるため、飲酒・セックス・神秘宗教・お金にのめり込んでいました。日本も雇用弱者から搾取して経済を回しています。私たちは「思い通り」を求め、スマホにのめり込みます。先日、現代の闇の象徴、オウム真理教首謀犯に死刑が執行されました。私の世代がのめり込んだ事件です。イエス様に出会わなかったら、自分の姿だったかもしれないと思います。虚しさという深い心の闇に囚われ、大量殺人での最終破壊を救済だと倒錯理解したのです。エフェソの人々と同じく、日本も「希望のない人」の集まりでした。
パウロの手紙は難解と感じます。律法、詩篇、預言書の知識を最高に修めたユダヤ人として、イエスに出会い、聖霊によってイエスが律法と預言を成就したと聖書を統合理解して、その教えと生き方で異邦人たちに良き知らせを広めたという背景から読み解くと、ユダヤ人が元のオリーブの枝であるところに諸国の民が接ぎ木され、共に神によって完成される壮大なご計画の素晴らしさと、み業への参加を私たちに呼びかける意図が見えてきます。
今日の箇所でも、旧約の約束を統合して語るパウロの真骨頂が発揮されます。直前の10節で、異邦人に準備されていた善い行いを壮大な「神が導く人類のご計画」の橋渡しとして位置づけました。10節までは個人に対する「救い」の恵みを説明し、11節からパウロは「異邦人」という枠組みで「救い」を説明します。この世で希望がなく、神を知らずに生きる者だった異邦人が、キリストの血によって、イスラエルの民に近い者になった。ご自分の肉で敵意という隔ての壁を取り壊されたと。そして、2章15節で、「双方をご自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現」したと言うのです。個人が新しい人になったというニュアンスではなく、敵対していたユダヤ人と異邦人がイエスに従い、イエスの体において、いうならば「新しい人種」になったというのです。「希望を見出せない」エフェソの異邦人に伝えたかった究極の希望です。「新しい人種」に所属するとは、ユダヤ人信者、そしてエフェソの異邦人信者ばかりでなく、あらゆる民族や言語族という異邦人信者すべてにとっての共同の希望なのです。5章26、27節では新天新地が始まる究極の未来での最高の見せ場として、新郎キリストに迎え入れられて傷なく立つ花嫁、イエス様のDNAを受け継いだ「新しい人種」、「新しいコミュニティ」という信じる人々の集まりの教会を描きました。
この「新しいコミュニティ」の一員として招かれた醍醐味を、地上で与えられた命の間、共に味わい続けたいと願いながら、午後の研修会に進みたいと思います。
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