2008年 06月 27日
スタット先生の灰を日本の墓におさめる |
朝8時15分に東大和を出て、八王子ICから中央高速に乗って、河口湖~山中湖~須走経由で富士霊園へ。
3年前の8月に急逝された元日本宣教師メルベン(バディ)・スタット先生の遺骨の一部を、富士霊園にあるカンバーランド長老教会日本中会の墓所におさめる「納骨式」の司式のためだ。お連れ合いのベバリーさんと、娘のロバータの希望で、お骨の約半分はバディ先生が25年間住み、宣教にあたった地、日本にある教会墓地に納めることになったのだ。もう半分はテネシー州メンフィス郊外にあるブランズウィック教会墓地に納められている。
スタット先生は、僕が神学校を出たばかりの新米伝道者だった時、始めたばかりの富士峰山伝道所に毎週通ってきて英会話教室を開いてくれて、僕たちを助けてくださった恩人である。僕らがメンフィスに留学していた時も、車を1年間貸してくれたり、しばしば食事に招いてくれたりと、全面的に僕らを助けてくれた。僕にとっては「アメリカのお父さん」である。娘の幼児洗礼もスタット先生にやっていただいた。
そんな大好きなバディの納骨をさせてもらえるというのは、僕にとって名誉なことであり、これで少しでもベバリーさんに恩返しができるのなら本当に嬉しい。
お墓の前で、ベバリーさんがアメリカから持ってきた黒いプラスチックの容器を受け取り、それをあけてみると、ビニール袋にはいった白い粉が出てきた。これはお骨とはいえない。灰である。英語でいえばashes。決してbonesではない。テネシー州では火葬というのは稀なことだというが、その火葬の仕方は日本と違って10時間ぐらいかけて、完全に細かい粉になるまで焼く。このほうが、塵から作られた者が塵に帰るという旧約聖書の言葉にふさわしい気がした。
スタット先生は天へと帰られた。お墓にいるわけではない。キリストにあって召された者は、霊のからだをもって復活するのだ。だから、骨をどこに安置するかということは、僕らにとってすごく重要な問題というわけではない。我々の肉体は土からきて土に還るものなのだ。
しかし、スタット先生のashesの一部が日本の教会のお墓におさめられたということは、意義深いことだ。先生が日本の地を愛し、日本に福音を伝えるために生涯をかけたという、献身のしるしだからだ。
僕らはバディ・スタットという米国からはるばるやってきた伝道者に出会った。ここに灰がおさめられたのは、神が与えてくださったその尊い出会いを思い起こす「よすが」である。
秋に墓所で行われる召天者記念礼拝の際には、「今年納骨された方々」の一人としてスタット先生の名前が読み上げられて、皆とても喜ぶことだろう。
敬愛するバディ先生のことを思い出して、納骨式をしながら僕も感慨深かった。涙が出そうで困った。いや、ベバリーもロバータも泣いていたんだから別に涙が出ても、ちっともかまわないんだけど。
納骨のあと、御殿場におりて、とても良い店で一緒に食事をした。スタット家と親交の深かった吉崎家の方々がこのような席を設けてくださって、良い時間を過ごせたことがとても嬉しかった。
(ちなみに、いちばん手前に立っているのは、キリスト教放送局のパーソナリティ、そして代表として大活躍しているあの御方です。)
3年前の8月に急逝された元日本宣教師メルベン(バディ)・スタット先生の遺骨の一部を、富士霊園にあるカンバーランド長老教会日本中会の墓所におさめる「納骨式」の司式のためだ。お連れ合いのベバリーさんと、娘のロバータの希望で、お骨の約半分はバディ先生が25年間住み、宣教にあたった地、日本にある教会墓地に納めることになったのだ。もう半分はテネシー州メンフィス郊外にあるブランズウィック教会墓地に納められている。
スタット先生は、僕が神学校を出たばかりの新米伝道者だった時、始めたばかりの富士峰山伝道所に毎週通ってきて英会話教室を開いてくれて、僕たちを助けてくださった恩人である。僕らがメンフィスに留学していた時も、車を1年間貸してくれたり、しばしば食事に招いてくれたりと、全面的に僕らを助けてくれた。僕にとっては「アメリカのお父さん」である。娘の幼児洗礼もスタット先生にやっていただいた。
そんな大好きなバディの納骨をさせてもらえるというのは、僕にとって名誉なことであり、これで少しでもベバリーさんに恩返しができるのなら本当に嬉しい。
お墓の前で、ベバリーさんがアメリカから持ってきた黒いプラスチックの容器を受け取り、それをあけてみると、ビニール袋にはいった白い粉が出てきた。これはお骨とはいえない。灰である。英語でいえばashes。決してbonesではない。テネシー州では火葬というのは稀なことだというが、その火葬の仕方は日本と違って10時間ぐらいかけて、完全に細かい粉になるまで焼く。このほうが、塵から作られた者が塵に帰るという旧約聖書の言葉にふさわしい気がした。
スタット先生は天へと帰られた。お墓にいるわけではない。キリストにあって召された者は、霊のからだをもって復活するのだ。だから、骨をどこに安置するかということは、僕らにとってすごく重要な問題というわけではない。我々の肉体は土からきて土に還るものなのだ。
しかし、スタット先生のashesの一部が日本の教会のお墓におさめられたということは、意義深いことだ。先生が日本の地を愛し、日本に福音を伝えるために生涯をかけたという、献身のしるしだからだ。
僕らはバディ・スタットという米国からはるばるやってきた伝道者に出会った。ここに灰がおさめられたのは、神が与えてくださったその尊い出会いを思い起こす「よすが」である。
秋に墓所で行われる召天者記念礼拝の際には、「今年納骨された方々」の一人としてスタット先生の名前が読み上げられて、皆とても喜ぶことだろう。
敬愛するバディ先生のことを思い出して、納骨式をしながら僕も感慨深かった。涙が出そうで困った。いや、ベバリーもロバータも泣いていたんだから別に涙が出ても、ちっともかまわないんだけど。
納骨のあと、御殿場におりて、とても良い店で一緒に食事をした。スタット家と親交の深かった吉崎家の方々がこのような席を設けてくださって、良い時間を過ごせたことがとても嬉しかった。
(ちなみに、いちばん手前に立っているのは、キリスト教放送局のパーソナリティ、そして代表として大活躍しているあの御方です。)
by boxy-diary
| 2008-06-27 13:25
| カンバーランド長老教会