2017年 07月 23日
説教要旨「慰めの子バルナバ」 |
2017年7月9日めぐみ教会礼拝説教
「慰めの子バルナバ」 荒瀬牧彦牧師
使徒言行録4章32‐36節
彼の本名はヨセフ。教会に加わってからバルナバと呼ばれるようになった。言語学的にはバルナバがどういう意味かは明らかではないらしい。使徒言行録の著者は、「慰めの子という意味」だと注釈をつけている。つまり、教会の人々は、バルナバが与えてくれる慰めゆえに、そういう綽名で呼んでいたということなのだろう。
彼は「持っていた畑を売り、その代金を持ってきて使徒たちの足もとに置いた」。しかし高額献金者を特に顕彰したいからそれを書いた、というのではなかろう。他にも、同じ事をした人たちはいたのである。当時加わってきた新しい信徒の代表として彼を取り上げたのは、やはり彼が慰めの子として皆に信頼され、皆に励ましを与えていたからだろう。
バルナバは、サウロ(パウロ)の宣教のパートナーとなった。バルナバなくして、パウロはあれだけの働きをすることはできなかったのだ。回心を遂げて間もないサウロがダマスコを脱出してエルサレムにやってきた時、エルサレムの弟子たちは彼を恐れた。その時サウロのもとに行き、彼を使徒たちのところに案内し、とりなしたのはバルナバであった。「それで、サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の名によって恐れずに教えるようになった」(使徒9:26以下)。
その後もう一度、サウロはバルナバに助けてもらっている。バルナバがエルサレム教会からアンティオキアに派遣されたときのことだ。アンティオキアで彼は「神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた」のだが、その後すぐにエルサレムに戻らず、サウロを探すためにはるばるタルソスまで足を延ばしたのである。そして彼を探し出して、アンティオキアの教会に連れて行き、そこで伝道と牧会を一緒に行った。二人はめざましい働きをそこでして、アンティオキアの教会がここから先、異邦人伝道を前進させる大きな力となる。バルナバとサウロ(途中から「パウロとバルナバ」)の伝道旅行がこの後行われていくが、それを可能にしたのはアンティオキア教会なのである。
また、エルサレムの信徒たちが困窮した時、アンティオキア教会は自発的に援助をして、それをバルナバとサウロが届けに行き、キリストの体としての生きたつながりを証しした。それができたのも、バルナバあってこそである。
バルナバは、人を見出し、人を活かすことのできる人だった。そして、人を簡単にはあきらめない愛の人であった。後に、バルナバとパウロが意見を異にすることがあった。バルナバは、前の伝道旅行で離脱してしまった「マルコと呼ばれるヨハネ」を第二回の旅行にも連れていきたかった。しかしパウロがそれはだめだと退けたのだ。パウロのように、原則を守る厳しさを前面に打ち出す人も大事だが、バルナバのように、人をかばい、その人が一度失敗したとしても切手捨てずに、もう一度機会を与えてようとする人がいた。こんな人がいる教会は幸せだ。
どこの教会にも「慰めの子」が必要だ。「慰めの子がうちの教会にいてくれたらいいな」、と思う。でもその前に、まず自分自身が慰めの子となれるよう祈ろう。神の慰めがあなたに与えられているのだから。
「神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。」
コリントの信徒への手紙二 1:4
「慰めの子バルナバ」 荒瀬牧彦牧師
使徒言行録4章32‐36節
彼の本名はヨセフ。教会に加わってからバルナバと呼ばれるようになった。言語学的にはバルナバがどういう意味かは明らかではないらしい。使徒言行録の著者は、「慰めの子という意味」だと注釈をつけている。つまり、教会の人々は、バルナバが与えてくれる慰めゆえに、そういう綽名で呼んでいたということなのだろう。
彼は「持っていた畑を売り、その代金を持ってきて使徒たちの足もとに置いた」。しかし高額献金者を特に顕彰したいからそれを書いた、というのではなかろう。他にも、同じ事をした人たちはいたのである。当時加わってきた新しい信徒の代表として彼を取り上げたのは、やはり彼が慰めの子として皆に信頼され、皆に励ましを与えていたからだろう。
バルナバは、サウロ(パウロ)の宣教のパートナーとなった。バルナバなくして、パウロはあれだけの働きをすることはできなかったのだ。回心を遂げて間もないサウロがダマスコを脱出してエルサレムにやってきた時、エルサレムの弟子たちは彼を恐れた。その時サウロのもとに行き、彼を使徒たちのところに案内し、とりなしたのはバルナバであった。「それで、サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の名によって恐れずに教えるようになった」(使徒9:26以下)。
その後もう一度、サウロはバルナバに助けてもらっている。バルナバがエルサレム教会からアンティオキアに派遣されたときのことだ。アンティオキアで彼は「神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた」のだが、その後すぐにエルサレムに戻らず、サウロを探すためにはるばるタルソスまで足を延ばしたのである。そして彼を探し出して、アンティオキアの教会に連れて行き、そこで伝道と牧会を一緒に行った。二人はめざましい働きをそこでして、アンティオキアの教会がここから先、異邦人伝道を前進させる大きな力となる。バルナバとサウロ(途中から「パウロとバルナバ」)の伝道旅行がこの後行われていくが、それを可能にしたのはアンティオキア教会なのである。
また、エルサレムの信徒たちが困窮した時、アンティオキア教会は自発的に援助をして、それをバルナバとサウロが届けに行き、キリストの体としての生きたつながりを証しした。それができたのも、バルナバあってこそである。
バルナバは、人を見出し、人を活かすことのできる人だった。そして、人を簡単にはあきらめない愛の人であった。後に、バルナバとパウロが意見を異にすることがあった。バルナバは、前の伝道旅行で離脱してしまった「マルコと呼ばれるヨハネ」を第二回の旅行にも連れていきたかった。しかしパウロがそれはだめだと退けたのだ。パウロのように、原則を守る厳しさを前面に打ち出す人も大事だが、バルナバのように、人をかばい、その人が一度失敗したとしても切手捨てずに、もう一度機会を与えてようとする人がいた。こんな人がいる教会は幸せだ。
どこの教会にも「慰めの子」が必要だ。「慰めの子がうちの教会にいてくれたらいいな」、と思う。でもその前に、まず自分自身が慰めの子となれるよう祈ろう。神の慰めがあなたに与えられているのだから。
「神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。」
コリントの信徒への手紙二 1:4
by boxy-diary
| 2017-07-23 21:24
| 礼拝説教の要旨