2017年 05月 01日
説教要旨「イースターがあって良かった」 |
2017年4月16日 めぐみ教会イースター礼拝説教
「イースターがあって良かった」荒瀬牧彦牧師
ヨハネによる福音書20章1-18節
マリアは墓に立ち尽くしていました。動けなかったのだと思います。泣くしかなかったのです。イエス様にすがってきた彼女は、その死に直面してうろたえ、「せめて御遺体の傍に」と思ったのです。でも、遺体さえ消え失せ、それにすがることもできない。あまりに残酷です。あまりに不条理です。もう生きていけない。どうしていいかわからない。
マリアは正直だったのだと思います。自分の喪失と痛みに正直に直面していたのです。男の弟子たちはどうしていたのでしょう。泣いていたという記述はありません。でも彼らだって心の内では心細くて情けなくて、大声で泣きたかったのではありませんか。泣くしかないはずなのに、マリアのようには正直になれなかったのです。
どんな強い人にでも、心の内に涙を流している部分があるはずです。あなたにもあるでしょう。あなた自身を泣いているマリアのうちに置いてみてください。マリアのように、立ち尽くして泣き続けている自分をそこに見ることができますか
泣きじゃくるマリアがどうしてイースターの最初の告知者になったのか。彼女をかえたのは、「マリア」と呼ぶ声でした。彼女の名を呼ぶイエス様の声でした。「マリア」。彼女はそれで「振り向く」のです。振り向いたら、そこにイエスがおられました。前からおられました。でもその時はじめてわかったのです。イエスが生きておられました。彼女に呼びかけておられました。
今年はディズニーランドだけでなくスーパーでもコンビニでも、「ハッピー・イースター!」と春爛漫のポスターが華やいでいます。何がハッピーなのでしょう。本当に嬉しいことは、あなたの名を呼んで、ただ泣くしかないあなたを振り向かせてくださるキリストがおられるということです。あなたのために十字架の死を引き受け、あなたのために死より復活されたイエス・キリストがおられることです。
長く寒い冬が終われば、美しい春が来る。春の到来はみんなの喜びです。桜の開花はわたしたちにとって大きな慰めです。しかし、それでは解決できないものを人間は抱えているのです。春祭りの季節になれば自動的にハッピーになれるというものではないのです。ただの春祭りではない、イースター(キリスト復活祭)があって良かった!あなたが墓場から命へと振り向くために、復活されたキリストがあなたの名を呼んでいます。
マリアは嬉しかったのです。本当に嬉しかった。愛するラボニ(先生)にすがりつこうとしました。でもイエス様は「わたしにすがりつくのはよしなさい」と言われました。マリアのすべきことはイエス様にすがりつくことではなく、立ちあがって、墓から出ていって皆に伝えることでした。「主は生きておられる」と。復活の信仰は、あなたをすがりつく人にするのではありません。あなたを立ち上がらせるのです。あなたを希望のメッセンジャーとするのです。
「イースターがあって良かった」荒瀬牧彦牧師
ヨハネによる福音書20章1-18節
マリアは墓に立ち尽くしていました。動けなかったのだと思います。泣くしかなかったのです。イエス様にすがってきた彼女は、その死に直面してうろたえ、「せめて御遺体の傍に」と思ったのです。でも、遺体さえ消え失せ、それにすがることもできない。あまりに残酷です。あまりに不条理です。もう生きていけない。どうしていいかわからない。
マリアは正直だったのだと思います。自分の喪失と痛みに正直に直面していたのです。男の弟子たちはどうしていたのでしょう。泣いていたという記述はありません。でも彼らだって心の内では心細くて情けなくて、大声で泣きたかったのではありませんか。泣くしかないはずなのに、マリアのようには正直になれなかったのです。
どんな強い人にでも、心の内に涙を流している部分があるはずです。あなたにもあるでしょう。あなた自身を泣いているマリアのうちに置いてみてください。マリアのように、立ち尽くして泣き続けている自分をそこに見ることができますか
泣きじゃくるマリアがどうしてイースターの最初の告知者になったのか。彼女をかえたのは、「マリア」と呼ぶ声でした。彼女の名を呼ぶイエス様の声でした。「マリア」。彼女はそれで「振り向く」のです。振り向いたら、そこにイエスがおられました。前からおられました。でもその時はじめてわかったのです。イエスが生きておられました。彼女に呼びかけておられました。
今年はディズニーランドだけでなくスーパーでもコンビニでも、「ハッピー・イースター!」と春爛漫のポスターが華やいでいます。何がハッピーなのでしょう。本当に嬉しいことは、あなたの名を呼んで、ただ泣くしかないあなたを振り向かせてくださるキリストがおられるということです。あなたのために十字架の死を引き受け、あなたのために死より復活されたイエス・キリストがおられることです。
長く寒い冬が終われば、美しい春が来る。春の到来はみんなの喜びです。桜の開花はわたしたちにとって大きな慰めです。しかし、それでは解決できないものを人間は抱えているのです。春祭りの季節になれば自動的にハッピーになれるというものではないのです。ただの春祭りではない、イースター(キリスト復活祭)があって良かった!あなたが墓場から命へと振り向くために、復活されたキリストがあなたの名を呼んでいます。
マリアは嬉しかったのです。本当に嬉しかった。愛するラボニ(先生)にすがりつこうとしました。でもイエス様は「わたしにすがりつくのはよしなさい」と言われました。マリアのすべきことはイエス様にすがりつくことではなく、立ちあがって、墓から出ていって皆に伝えることでした。「主は生きておられる」と。復活の信仰は、あなたをすがりつく人にするのではありません。あなたを立ち上がらせるのです。あなたを希望のメッセンジャーとするのです。
by boxy-diary
| 2017-05-01 10:36
| 礼拝説教の要旨