2016年 01月 14日
新出生前診断をめぐって |
火曜日は、某短大でのキリスト教学Ⅱの講義。
「世界のキリスト教」というタイトルだが、「世界とキリスト教」も含めて考えているので、後半数回は「キリスト教倫理」にあたる内容として、「いのちの尊厳」を危機にさらすような問題について、考え方を学んでもらうことにしている。
今週は死と誕生をめぐる問い。
誕生については、出生前診断をめぐる問題について話をして――現状の概観と、僕自身のキリスト教倫理の立場からの見解を述べて――各人がどう考えるかをレスポンス・ペーパーに書いてもらった。
2013年4月に始まった新出生前診断が、どのような影響をもたらしているか。
新聞・雑誌などで次のような報告がなされているのを紹介。
〇2015年6月27日 日本経済新聞
「新出生前診断1万人受診 検査後中絶、2年で221人」
妊婦の血液で胎児のダウン症などの染色体異常を調べる新出生前診断を実施している病院グループは26日、検査開始後2年間の実績を公表、2年目の2014年度に1万60人が受診したことが分かった。1年目の7740人から大幅に増えた。検査で異常が確定するなどして中絶したのは2年間で221人だった。 おなかに針を刺して子宮内の羊水を採取する羊水検査も13年に約2万600件と過去最多になったのが25日に明らかになった。胎児の遺伝疾患を調べる検査が広がる傾向が浮き彫りになった。
グループは13年4月の導入以来2年間の実績を集計。1万7800人が受診し、295人が陽性と判定された。確定診断の羊水検査に進んだ253人のうち、230人の異常が確定した。確定診断で異常なしとされた人も23人おり、誤って陽性と判定される「偽陽性」が9%となった。 陽性判定を受けた295人のうち、中絶したのは221人、妊娠を継続した人が4人、胎児が死亡してしまったのが41人などだった。確定診断を受ける前に中絶した人も数人いた。
〇2015年10月 出生前診断の誤診断に対する訴訟 函館地裁判決
高齢出産のため羊水検査を受けた妊婦が「検査結果は陰性。心配いりません」と医師から告げられたが、生まれてきた子は重い障害を抱えており、ダウン症、肺化膿症、無気肺、黄疸、肺や心臓・皮膚からの出血など10以上の合併症があり、懸命な治療を行ったが生後3カ月で亡くなってしまった。告知ミスに対して、「夫妻に羊水検査の結果を誤って伝えたことについての慰謝料」と、「生まれたことによって赤ちゃん自身が被った苦痛への慰謝料」、計一千万円あまりの損害賠償を求める訴訟を2013年に起こし、賠償金を認める判決を函館地裁がくだした。
〇2015年11月 茨城県教育委員の発言
茨城県の教育施策を話し合う18日の県総合教育会議の席上で(中略)、県教育委員が「妊娠初期にもっと(障害の有無が)わかるようにできないのか。教職員もすごい人数が従事しており、大変な予算だ」と発言した。発言したのは、今年4月に教育委員に就任した東京・銀座の日動画廊副社長、長谷川智恵子氏。長谷川氏は「意識改革しないと。技術で(障害の有無が)わかればいちばんいい。生まれてきてからじゃ本当に大変」「茨城県では減らしていける方向になったらいい」などとした。
会議後、報道陣の取材を受けた長谷川氏は、「世話をする家族が大変。障害児の出産を防げるのなら防いだ方がいい」と改めて主張。同会議に出席していた橋本昌・県知事も、彼女の発言について「問題ない」と話していた。
県教育委員には全国から非難が殺到し、20日、長谷川氏は発言を撤回。「障害のあるお子様をお持ちのご家庭に、心からのお詫びを申し上げる」と謝罪し辞意を表明した。
上の3件の報告にはどれも衝撃的な内容が含まれており、非常に深刻な問題が起こりつつあるのが見てとれる。ナチス・ドイツの優生思想的なものにもつながりかねない障害者排除の空気が、社会に徐々に広がることを恐れる。
今回の講義では紹介するのを忘れてしまったが、昨年12月8日の東京新聞夕刊に、「ダウン症の生活伝えたい 新出生前診断めぐり厚生労働省研究班が実情調査を開始」という記事があり、切り抜いておいた。今、読みなおして、これも紹介すべきだったと思った。ダウン症の29歳の息子さんを持つという方の考えが、こう報告されている。
「わが子との暮らしを通し、『自分の物の見方が変わり、豊かになっている』と話す和子さんは、新出生前診断に反対の立場。ダウン症を含む三種類の染色体疾患を調べる新出生前診断が広がれば、障害がある人を排除する風潮が強まるのではないか。多様性を欠いた『もろく、弱い社会になってしまう』と懸念する。
30年前に親の会をつくり、多くの家族の相談に乗ってきた。その経験を踏まえて、回答用紙には『障害がある子の親はまだまだ肩身の狭い思いをしている』と書いた。思いを丁寧に掘り下げて実態を浮き彫りにし多様性を認め合う社会にしてほしいと願っている。」
学生の多くは、前日に晴れ着で成人式を祝ったという若い女性たち。彼女らに、「あなたたちが当事者として直面した時に、いのちの尊厳を守るという観点に立って、しっかりと決断できるように今からよく考えておいてほしい」と話した。
わが友ジョナサンのことも話した。ダウン症の彼は、オクラホマ在住。一昨年、牧師である父親と一緒に日本に遊びに来て、めぐみ教会の礼拝にも二回出席してくれた。昨年夏には、妻と僕とで、彼が働いているスーパーマーケットを訪問。彼が社会で豊かな人間関係の中に輝いて生きている様子を見せてもらった。
彼は毎年、近くにある大学の授業に呼ばれて、ダウン症をもつ人たちへの理解を深めてもらうための話をするそうだ。それがどんなに素晴らしい講話であるか想像がつく。
以前に、お父さんを通して、日本で新出生前診断施行後に起きていることを伝え、彼はどう思うかを聴いてもらった。彼はこう言ったとのこと。「自分と同じような人たちが、生まれてこられなくなるのだったら、とても悲しい。とても困る。」
ジョナサンが両親や教会の仲間、近隣コミュニティの暖かい愛の中で、自分の持っている力をのびのびと活かしている姿を見ると、本当に素晴らしいなあと思う。自分のいる社会が、その反対の方向へ向かってほしくない。
ちなみに、ジョナサンの妹のキャサリンとその夫ブライアンには、小学校から幼稚園年代の四人のこどもがいるのだが、彼らは2年前、中国の養護施設からダウン症の幼女を養子とした。そしてつい最近、もう一人、今度はダウン症の男の子を養子にした。計8人の大家族だ!
昨年夏、この一家と教会で会うことができ、彼らの暖かくて誠実な人柄に触れることができた。アメリカは様々な問題を抱えた国であるが、社会や個人・家庭にはこんな包容力があるのだ。すごいな、とても敵わないな、と思わされる一面がある。
出生前診断の発達と普及が、「障害児を産むなんて」という社会の冷ややかな眼をもたらすようなことがあってはならない。親だけが重荷を背負わされるような社会にしてはならない。社会全体が、障害児のいる家庭を囲み、支える体制を作っていくことのほうが、診断方法の革新よりも先に進んでいかなければならないのに、そうはならないという不条理。
ちょうど先週、障害のあるお子さんを持つ方(妻が以前に働いていた障害児療育施設で知り合った方)から、そのお子さんのお友だちだった18トリソミーの〇〇ちゃんが亡くなった、お祈りしてください、というメッセージを妻を通して頂いた。
18トリソミーはとても重い障害で、生まれてくること自体が大変に難しいそうだが、その子はたくさんの治療を受け続けながら、よく頑張って、短い人生を生き抜いたのだ。御家族もお医者さんたちも周りを囲む方々がみんな愛を注いで、小さな子のいのちを守った。今は、天の父の御腕のうちに安らいでいることを信じる。
そのことの尊さ、かけがえのなさを思う。
誰が「生まれてこないほうがよかった」などと言えるものか。
「世界のキリスト教」というタイトルだが、「世界とキリスト教」も含めて考えているので、後半数回は「キリスト教倫理」にあたる内容として、「いのちの尊厳」を危機にさらすような問題について、考え方を学んでもらうことにしている。
今週は死と誕生をめぐる問い。
誕生については、出生前診断をめぐる問題について話をして――現状の概観と、僕自身のキリスト教倫理の立場からの見解を述べて――各人がどう考えるかをレスポンス・ペーパーに書いてもらった。
2013年4月に始まった新出生前診断が、どのような影響をもたらしているか。
新聞・雑誌などで次のような報告がなされているのを紹介。
〇2015年6月27日 日本経済新聞
「新出生前診断1万人受診 検査後中絶、2年で221人」
妊婦の血液で胎児のダウン症などの染色体異常を調べる新出生前診断を実施している病院グループは26日、検査開始後2年間の実績を公表、2年目の2014年度に1万60人が受診したことが分かった。1年目の7740人から大幅に増えた。検査で異常が確定するなどして中絶したのは2年間で221人だった。 おなかに針を刺して子宮内の羊水を採取する羊水検査も13年に約2万600件と過去最多になったのが25日に明らかになった。胎児の遺伝疾患を調べる検査が広がる傾向が浮き彫りになった。
グループは13年4月の導入以来2年間の実績を集計。1万7800人が受診し、295人が陽性と判定された。確定診断の羊水検査に進んだ253人のうち、230人の異常が確定した。確定診断で異常なしとされた人も23人おり、誤って陽性と判定される「偽陽性」が9%となった。 陽性判定を受けた295人のうち、中絶したのは221人、妊娠を継続した人が4人、胎児が死亡してしまったのが41人などだった。確定診断を受ける前に中絶した人も数人いた。
〇2015年10月 出生前診断の誤診断に対する訴訟 函館地裁判決
高齢出産のため羊水検査を受けた妊婦が「検査結果は陰性。心配いりません」と医師から告げられたが、生まれてきた子は重い障害を抱えており、ダウン症、肺化膿症、無気肺、黄疸、肺や心臓・皮膚からの出血など10以上の合併症があり、懸命な治療を行ったが生後3カ月で亡くなってしまった。告知ミスに対して、「夫妻に羊水検査の結果を誤って伝えたことについての慰謝料」と、「生まれたことによって赤ちゃん自身が被った苦痛への慰謝料」、計一千万円あまりの損害賠償を求める訴訟を2013年に起こし、賠償金を認める判決を函館地裁がくだした。
〇2015年11月 茨城県教育委員の発言
茨城県の教育施策を話し合う18日の県総合教育会議の席上で(中略)、県教育委員が「妊娠初期にもっと(障害の有無が)わかるようにできないのか。教職員もすごい人数が従事しており、大変な予算だ」と発言した。発言したのは、今年4月に教育委員に就任した東京・銀座の日動画廊副社長、長谷川智恵子氏。長谷川氏は「意識改革しないと。技術で(障害の有無が)わかればいちばんいい。生まれてきてからじゃ本当に大変」「茨城県では減らしていける方向になったらいい」などとした。
会議後、報道陣の取材を受けた長谷川氏は、「世話をする家族が大変。障害児の出産を防げるのなら防いだ方がいい」と改めて主張。同会議に出席していた橋本昌・県知事も、彼女の発言について「問題ない」と話していた。
県教育委員には全国から非難が殺到し、20日、長谷川氏は発言を撤回。「障害のあるお子様をお持ちのご家庭に、心からのお詫びを申し上げる」と謝罪し辞意を表明した。
上の3件の報告にはどれも衝撃的な内容が含まれており、非常に深刻な問題が起こりつつあるのが見てとれる。ナチス・ドイツの優生思想的なものにもつながりかねない障害者排除の空気が、社会に徐々に広がることを恐れる。
今回の講義では紹介するのを忘れてしまったが、昨年12月8日の東京新聞夕刊に、「ダウン症の生活伝えたい 新出生前診断めぐり厚生労働省研究班が実情調査を開始」という記事があり、切り抜いておいた。今、読みなおして、これも紹介すべきだったと思った。ダウン症の29歳の息子さんを持つという方の考えが、こう報告されている。
「わが子との暮らしを通し、『自分の物の見方が変わり、豊かになっている』と話す和子さんは、新出生前診断に反対の立場。ダウン症を含む三種類の染色体疾患を調べる新出生前診断が広がれば、障害がある人を排除する風潮が強まるのではないか。多様性を欠いた『もろく、弱い社会になってしまう』と懸念する。
30年前に親の会をつくり、多くの家族の相談に乗ってきた。その経験を踏まえて、回答用紙には『障害がある子の親はまだまだ肩身の狭い思いをしている』と書いた。思いを丁寧に掘り下げて実態を浮き彫りにし多様性を認め合う社会にしてほしいと願っている。」
学生の多くは、前日に晴れ着で成人式を祝ったという若い女性たち。彼女らに、「あなたたちが当事者として直面した時に、いのちの尊厳を守るという観点に立って、しっかりと決断できるように今からよく考えておいてほしい」と話した。
わが友ジョナサンのことも話した。ダウン症の彼は、オクラホマ在住。一昨年、牧師である父親と一緒に日本に遊びに来て、めぐみ教会の礼拝にも二回出席してくれた。昨年夏には、妻と僕とで、彼が働いているスーパーマーケットを訪問。彼が社会で豊かな人間関係の中に輝いて生きている様子を見せてもらった。
彼は毎年、近くにある大学の授業に呼ばれて、ダウン症をもつ人たちへの理解を深めてもらうための話をするそうだ。それがどんなに素晴らしい講話であるか想像がつく。
以前に、お父さんを通して、日本で新出生前診断施行後に起きていることを伝え、彼はどう思うかを聴いてもらった。彼はこう言ったとのこと。「自分と同じような人たちが、生まれてこられなくなるのだったら、とても悲しい。とても困る。」
ジョナサンが両親や教会の仲間、近隣コミュニティの暖かい愛の中で、自分の持っている力をのびのびと活かしている姿を見ると、本当に素晴らしいなあと思う。自分のいる社会が、その反対の方向へ向かってほしくない。
ちなみに、ジョナサンの妹のキャサリンとその夫ブライアンには、小学校から幼稚園年代の四人のこどもがいるのだが、彼らは2年前、中国の養護施設からダウン症の幼女を養子とした。そしてつい最近、もう一人、今度はダウン症の男の子を養子にした。計8人の大家族だ!
昨年夏、この一家と教会で会うことができ、彼らの暖かくて誠実な人柄に触れることができた。アメリカは様々な問題を抱えた国であるが、社会や個人・家庭にはこんな包容力があるのだ。すごいな、とても敵わないな、と思わされる一面がある。
出生前診断の発達と普及が、「障害児を産むなんて」という社会の冷ややかな眼をもたらすようなことがあってはならない。親だけが重荷を背負わされるような社会にしてはならない。社会全体が、障害児のいる家庭を囲み、支える体制を作っていくことのほうが、診断方法の革新よりも先に進んでいかなければならないのに、そうはならないという不条理。
ちょうど先週、障害のあるお子さんを持つ方(妻が以前に働いていた障害児療育施設で知り合った方)から、そのお子さんのお友だちだった18トリソミーの〇〇ちゃんが亡くなった、お祈りしてください、というメッセージを妻を通して頂いた。
18トリソミーはとても重い障害で、生まれてくること自体が大変に難しいそうだが、その子はたくさんの治療を受け続けながら、よく頑張って、短い人生を生き抜いたのだ。御家族もお医者さんたちも周りを囲む方々がみんな愛を注いで、小さな子のいのちを守った。今は、天の父の御腕のうちに安らいでいることを信じる。
そのことの尊さ、かけがえのなさを思う。
誰が「生まれてこないほうがよかった」などと言えるものか。
by boxy-diary
| 2016-01-14 12:07
| 今この世界で