2015年 03月 31日
ラビリンス 祈りの道を歩く (三教会合同退修会) |
3月21日(春分の日)に、西東京にある三教会合同の「退修会」を持ちました。
*退修会という用語は、元々、三教会の中の最年長、国立のぞみ教会が使っていたものです。日本のプロテスタント教会では「修養会」のほうが一般的な用語だと思いますが、おそらく国立のぞみの先代牧師、朝山正治先生が、英語のリトリート(retreat)のうちにある「退く」という意味を重要視してこの名称を採用されたのでは、と想像しています。
イエスが祈るために群衆を離れ、寂しい場所にしりぞかれたという福音書の記事を読むと、日常の中にある「退修」の必要を感じます。
さて今年は、我がめぐみ教会がこの集会の企画・運営をする当番教会でした。
まだ何もアイディアをもっていなかった時に、東小金井の香月牧師より、「良い会場があるよ」と、小金井市にある聖霊修道院マリア館のことを教えてもらいました。
この修道院には広い庭園があり、その中に、2011年に完成したというラビリンスがあるとのこと。(後で知りましたが、現時点で、野外・常設のラビリンスがあるのは日本でここだけです。)
ラビリンスは、以前、米国から来日したカンバーランド長老・ミニストリーカウンセル総主事のイーディス・オールドさんが、布のポータブルのものを持ってきてくれて、三教会の小集会で経験したこともあって、わたしたちのうちに関心がありました。
ラビリンスとは何かについてはこちらのサイトをご覧ください
私の中で「これだ!」というひらめきがあり、すぐに会場を予約。講師を、ちょうど『聖なる道を歩く 黙想と祈りのラビリンス・ウォーク』という本を出されたばかりの、ラビリンス・ウォーク・ジャパン世話人、武田光世さん(上記サイトを参照)にお願いしました。
その後計画を練って、退修会の主題を「祈りの道を歩む」としました。
ラビリンスを手掛かりとして、「祈り方」を学ぶ時としたい。
祈りを広げ、深め、豊かにしていくにはどうしたらよいか。祈りを「道」というイメージでとらえ、祈りの道を自分の生活の中に持てるようにしたい。そんな狙いです。
午前中には、まず、中会神学生の伊能悠貴さんに「祈り」について発題をしてもらいました。世の中にあって生きることと祈ることの有機的なつながりについて考えさせられる、洞察に富むお話しでした。
その後、三人の信徒の方に信仰と祈りをめぐって、証しをして頂きました。人生の歩みの中で、神様がどのように導きを与えてくださったか、どんな祈りの経験を与えられてきたかが、それぞれの言葉で語られて、大変感銘深いものでした。
そして午後はラビリンス・ウォーク。
お天気のことを随分と心配しましたが、幸い、外を歩くのにちょうど良い日和を与えられました。
最初に、聖堂で武田光世さんにラビリンスとは何かということを伺いました。
その後、庭に出て、ラビリンスを歩きつつ、祈ったり、瞑想したり、無心になったり・・・ (これは、各自の自由に任されました)。
武田さんと一緒に来てくださったお連れあいのリチャード・ガードナーさんが、「ゲート・キーパー」として、前の人が少し歩を進めて適当な間隔があいたところで、次の人を出発させるという役を務めてくださいました。
その後、どんな経験をしたかを仲間たちと分かち合いました。
同じ道を同じように歩くのですが、受け取ったものは人それぞれ。
面白いですね。
実によく個性があらわれるのです。
歩く速さ、何を感じているか、どんな音・景色・匂いが心に響くか、何が脳裏に浮かぶか、あるいは純粋な無を経験するか・・・・
私の心に特に残ったのは、こんな思いでした。
それぞれが祈りの道を、それぞれのタイミングで歩いている。
しかし、私たちは皆、一つの道へと招かれていて、同じ道を歩いている。
歩き始める時と歩き終わる時がそれぞれ違う。
しかし、私たちは同じ時間・歴史の中、同じ道を歩き、一人の主に共に仕えているだ。
その気付きに、素朴な喜びがありました。
by boxy-diary
| 2015-03-31 11:01
| 行事