2014年 10月 01日
広島で平和をうたう |
もう10月だ!
というわけで、先月のことになってしまいましたが、広島市の中心部にある広島流川教会を会場として、日本賛美歌学会の第14回大会が行われました。主題は「平和をうたう」。
東京で開催している例年の大会よりもずっと多く、120名ほどの参加者があり、熱気にあふれた大会となりました。中国・四国支部の方々、流川教会の方々、神戸のオグケン牧師らの熱心な準備があってのことと、本当に感謝しています。
この教会の十字架は、1945年8月6日の原爆投下によって焼けた木材を二本、組み合わせて作ったものです。
今の会堂は昨年献堂された新しいものですが、以前の会堂でも、この十字架は「被爆を記念し、世界に平和を発信する」この教会にとって重要なシンボルの役割を果たしてきたとのこと。
中国新聞(2013年2月12日)の記事をご覧ください。
「被爆十字架 新たな命 広島流川教会のシンボル 保存処理終え帰着」
パイプオルガンも、とっても素敵な響きでした。
また、この教会のオルガニストの方々の演奏の、それはそれは素晴らしいこと!
開会礼拝、閉会礼拝での前奏、メディテーション、後奏、そして会衆賛美歌伴奏の一つ一つにすっかり魅了されました。
「平和の賛美をうたう」は三部構成で、1がドイツ語圏の賛美歌、2が英語圏の賛美歌、3がアジアの賛美歌。3では、中村証二さんが、韓国の「国楽ミサ」と、フィリピン合同教会の賛美歌(Hymnal of a Faith Journey)を紹介してくれました。国楽ミサというのは全くの初耳でしたが、民衆のうちにある信仰の力を感じさせるものでした。レジュメにこうあります。「民俗音楽に息づいている伝統的なリズムや節回しを用いて、多数の賛美歌が作られている。民衆神学を実践する信仰者たち、体制に批判的な信仰者たちを中心に愛唱され、徐々に広まっている模様。」
こちらのサイトに、演奏動画記録もあるとのこと。(僕はハングルが読めないので、まだ動画に辿りつけていないのですが・・・・涙)
個人的にはフィリピンの賛美歌が特に心に残りました。
1971年に作られたセブアノ語の賛美歌(英語タイトル:How Can Our Song This Time be Chanted)は、こう歌います。
どうして歌えよう 重荷を背負わされ 思いやりもなくし いのち値踏みされ 買い叩かれて
(リフレイン)
天の、ひろく開け
夢はふる雨のよう
希望はかがやく
ああ主よ、忘れないでください
Joel B. Tabada 1971 (C) 1974 Silliman University
僕は、英語圏からの歌を紹介するという役割で、昨年米国長老教会が刊行したGlory to Godという歌集におさめられているものから7曲を取り上げました。ぜひ日本語でも歌いたいな、と思うものばかりです。(賛美歌学会で邦訳できるとよいのですが。)
それから、この日に出版された賛美歌学会小歌集『未来に向かって ~平和をうたう~』に、邦人作品も載せようじゃないか、誰か作品を出しなさい、という話になったので、「下手な鉄砲も数打ちゃあたる」式の小生が、三つほど、平和を祈り求める賛美歌歌詞を提出しました。
まあ賛美歌を書くというよりは、恥をかくという感じですが、こんな風なおっちょこちょいが創作に手を出すことで、「私も書いてみようかな」という人が出てくれば、何かの役割を果たしたことになるでしょう。
それでよいのだ。
自作の歌詞については、もう一つ別のエントリーで書きましょう。
というわけで、先月のことになってしまいましたが、広島市の中心部にある広島流川教会を会場として、日本賛美歌学会の第14回大会が行われました。主題は「平和をうたう」。
東京で開催している例年の大会よりもずっと多く、120名ほどの参加者があり、熱気にあふれた大会となりました。中国・四国支部の方々、流川教会の方々、神戸のオグケン牧師らの熱心な準備があってのことと、本当に感謝しています。
この教会の十字架は、1945年8月6日の原爆投下によって焼けた木材を二本、組み合わせて作ったものです。
今の会堂は昨年献堂された新しいものですが、以前の会堂でも、この十字架は「被爆を記念し、世界に平和を発信する」この教会にとって重要なシンボルの役割を果たしてきたとのこと。
中国新聞(2013年2月12日)の記事をご覧ください。
「被爆十字架 新たな命 広島流川教会のシンボル 保存処理終え帰着」
パイプオルガンも、とっても素敵な響きでした。
また、この教会のオルガニストの方々の演奏の、それはそれは素晴らしいこと!
開会礼拝、閉会礼拝での前奏、メディテーション、後奏、そして会衆賛美歌伴奏の一つ一つにすっかり魅了されました。
「平和の賛美をうたう」は三部構成で、1がドイツ語圏の賛美歌、2が英語圏の賛美歌、3がアジアの賛美歌。3では、中村証二さんが、韓国の「国楽ミサ」と、フィリピン合同教会の賛美歌(Hymnal of a Faith Journey)を紹介してくれました。国楽ミサというのは全くの初耳でしたが、民衆のうちにある信仰の力を感じさせるものでした。レジュメにこうあります。「民俗音楽に息づいている伝統的なリズムや節回しを用いて、多数の賛美歌が作られている。民衆神学を実践する信仰者たち、体制に批判的な信仰者たちを中心に愛唱され、徐々に広まっている模様。」
こちらのサイトに、演奏動画記録もあるとのこと。(僕はハングルが読めないので、まだ動画に辿りつけていないのですが・・・・涙)
個人的にはフィリピンの賛美歌が特に心に残りました。
1971年に作られたセブアノ語の賛美歌(英語タイトル:How Can Our Song This Time be Chanted)は、こう歌います。
どうして歌えよう 重荷を背負わされ 思いやりもなくし いのち値踏みされ 買い叩かれて
(リフレイン)
天の、ひろく開け
夢はふる雨のよう
希望はかがやく
ああ主よ、忘れないでください
Joel B. Tabada 1971 (C) 1974 Silliman University
僕は、英語圏からの歌を紹介するという役割で、昨年米国長老教会が刊行したGlory to Godという歌集におさめられているものから7曲を取り上げました。ぜひ日本語でも歌いたいな、と思うものばかりです。(賛美歌学会で邦訳できるとよいのですが。)
それから、この日に出版された賛美歌学会小歌集『未来に向かって ~平和をうたう~』に、邦人作品も載せようじゃないか、誰か作品を出しなさい、という話になったので、「下手な鉄砲も数打ちゃあたる」式の小生が、三つほど、平和を祈り求める賛美歌歌詞を提出しました。
まあ賛美歌を書くというよりは、恥をかくという感じですが、こんな風なおっちょこちょいが創作に手を出すことで、「私も書いてみようかな」という人が出てくれば、何かの役割を果たしたことになるでしょう。
それでよいのだ。
自作の歌詞については、もう一つ別のエントリーで書きましょう。
by boxy-diary
| 2014-10-01 11:48
| さんびか