2014年 03月 14日
最年長の教会員を天に送る |
来週木曜に発行となる『めぐみフォーラム』に、先日昇天された渡邊治恵さんの追悼文を書かせて頂きました。
伝道所開所の翌年(1994年)からご夫妻でこの教会に集い、忠実な信徒であり続けた信仰の大先輩、渡邊治恵さんが、アミーユ上北台の自室において安らかに天に召されました。97年の生涯でした。
昨年は肺炎で二度入院されましたが、二度とも退院し、内田夫妻に送迎してもらい、車椅子で礼拝に戻ってこられました。「私を教会の地下室においてくれ」といつも言われるほど、教会を愛されました。(地下室がなくて申し訳ないことでした。)
バイタリティ溢れる方でした。83歳の時にCS運動会で疾走した姿は語り草になりました。しかし同時にかなりの心配性でもありました。自分でもどうにかしたいと思っておられたようですが、その気質はどうにもできませんでした。強さも弱さも、率直にさらけ出して、神さまにすがる祈りの人でした。
そしてまた、「生活は質素に、社会を豊かに」というモットーを貫き、惜しみなく献げる人でした。教会にはもちろんのこと、自由学園にも、共働学舎にも、アフリカのこどもたちにも。
彼女が残してくださったものの大きさは容易に言い表せません。2006年に夫の光男兄が召されてからは、孤独に襲われることがしばしばあり、「はやく天国に行きたい」と洩らされていました。今は熱望していた天の国で、平安のうちにおられることを信じます。
治恵さんは我々の教会で最年長であり、大先輩でしたが、御茶目で少女のような側面からか、多くの人が「ハルエちゃん」と親しみをこめて呼んでいました。だから、こう言わせてもらいます。「ハルエちゃん、よく頑張って、最後まで生ききりましたね。本当に長い間お疲れ様でした。どうもありがとう。」
2012年2月 “お休み処”で、ミニ作品展開催
自作の油絵について語る治恵姉
伝道所開所の翌年(1994年)からご夫妻でこの教会に集い、忠実な信徒であり続けた信仰の大先輩、渡邊治恵さんが、アミーユ上北台の自室において安らかに天に召されました。97年の生涯でした。
昨年は肺炎で二度入院されましたが、二度とも退院し、内田夫妻に送迎してもらい、車椅子で礼拝に戻ってこられました。「私を教会の地下室においてくれ」といつも言われるほど、教会を愛されました。(地下室がなくて申し訳ないことでした。)
バイタリティ溢れる方でした。83歳の時にCS運動会で疾走した姿は語り草になりました。しかし同時にかなりの心配性でもありました。自分でもどうにかしたいと思っておられたようですが、その気質はどうにもできませんでした。強さも弱さも、率直にさらけ出して、神さまにすがる祈りの人でした。
そしてまた、「生活は質素に、社会を豊かに」というモットーを貫き、惜しみなく献げる人でした。教会にはもちろんのこと、自由学園にも、共働学舎にも、アフリカのこどもたちにも。
彼女が残してくださったものの大きさは容易に言い表せません。2006年に夫の光男兄が召されてからは、孤独に襲われることがしばしばあり、「はやく天国に行きたい」と洩らされていました。今は熱望していた天の国で、平安のうちにおられることを信じます。
治恵さんは我々の教会で最年長であり、大先輩でしたが、御茶目で少女のような側面からか、多くの人が「ハルエちゃん」と親しみをこめて呼んでいました。だから、こう言わせてもらいます。「ハルエちゃん、よく頑張って、最後まで生ききりましたね。本当に長い間お疲れ様でした。どうもありがとう。」
2012年2月 “お休み処”で、ミニ作品展開催
自作の油絵について語る治恵姉
by boxy-diary
| 2014-03-14 01:54
| めぐみな人々