2013年 08月 13日
平和主日の祈りと信仰告白 |
めぐみ教会では、8月15日直前の日曜日を「平和主日」として、平和を祈り、平和への道を聖書に学ぶ礼拝をささげることにしています。(15日が日曜となる年は15日に。)
礼拝の「招集」の部に、「罪の告白」という祈りがありますが、11日の礼拝ではこのような交読祈祷をもって罪の告白の祈りとしました。青字を司式者が、行頭のさがった黒字を礼拝者一同が読みます。
神さま、68年前の8月15日に、長く続いた戦争が終わりました。
アジアの国々で、多くの人たちが苦しみをうけました。
今も、その時の傷でいたんでいる人たちがいます。
この国人たちも苦しみました。たくさんの若ものが軍隊に召集され、戦場で命を落としました。食べるものがなくなりました。町が空襲で燃やされ、こどもも大人も老人も、犠牲になりました。広島と長崎に、原子爆弾が落とされました。
わたしたちがこの歴史を、決して忘れることがありませんように。
神さま、一昨年3月11日の震災以来、また別の形で、命への脅威を感じています。
この状況の中で、あらためて、人が核兵器をつくることの罪の深さを思います。
主よ、わたしたちを あわれんでください。
平和の神よ、わたしたちを争う心から解放してください。
むさぼりの罪から解放してください。
イエスさまは「平和を実現する人々はさいわいである、その人たちは神の子と呼ばれる」といわれました。
わたしたちを、主イエスにしたがう弟子としてください。
キリストの御名によって。
アーメン。
説教のあとに応答として唱える「信仰告白」は、ふだんは使徒信条・ニケア信条を用いていますが、神様に与えられた平和への使命を鑑み、カンバーランド長老教会信仰告白の6.32の文を用いてみました。
「神は教会に和解の使信と務めを託されている。教会は全体として、また個々の人々を通して、すべての人々、すべての階層、すべての人種、すべての国々の間に、和解と愛と正義が、拡大されることを求める。」
礼拝前の打合せの時に、Y長老から「使信ってなんですか」と尋ねられました。キリスト教書には比較的よく出てくる言葉なので、意識していませんでしたが、一般社会では使われる用語ではないのですね。確かに、パソコンの漢字変換でも候補にあがってこない。。。。
ネットで調べてみました。大辞林第三版では以下の通り。
イエス-キリストおよび使徒たちの福音宣教の中核的内容。転じて,聖書の言葉から読み取れる内容,説教者の勧めなど。メッセージ。 → ケリュグマ
さらに「ケリュグマ」(ギリシア語です)の意味はというと
〔伝令が告げる布告,の意〕
新約聖書学で,原始キリスト教会の説教のキリスト証言部分。広義には,福音宣教の内容。 → 使信
いつ頃、誰が、「使信」という訳語を考えたのでしょう。その前にはなかった言葉を造ったのでしょうか。なかなか良い語だなあ、と思いました。
が、礼拝者の皆さんがよく意味のわからない状態で告白しても仕方ありません。
司式のY長老に、信仰告白の前に、「使信とはメッセージという意味です」と言ってもらうことにしました。
↓ ネット上でみつけた「ケリュグマ」という言葉のはいったロゴ
「イエスは生きておられる」というケリュグマがスペイン語で書いてありますね。
礼拝の「招集」の部に、「罪の告白」という祈りがありますが、11日の礼拝ではこのような交読祈祷をもって罪の告白の祈りとしました。青字を司式者が、行頭のさがった黒字を礼拝者一同が読みます。
神さま、68年前の8月15日に、長く続いた戦争が終わりました。
アジアの国々で、多くの人たちが苦しみをうけました。
今も、その時の傷でいたんでいる人たちがいます。
この国人たちも苦しみました。たくさんの若ものが軍隊に召集され、戦場で命を落としました。食べるものがなくなりました。町が空襲で燃やされ、こどもも大人も老人も、犠牲になりました。広島と長崎に、原子爆弾が落とされました。
わたしたちがこの歴史を、決して忘れることがありませんように。
神さま、一昨年3月11日の震災以来、また別の形で、命への脅威を感じています。
この状況の中で、あらためて、人が核兵器をつくることの罪の深さを思います。
主よ、わたしたちを あわれんでください。
平和の神よ、わたしたちを争う心から解放してください。
むさぼりの罪から解放してください。
イエスさまは「平和を実現する人々はさいわいである、その人たちは神の子と呼ばれる」といわれました。
わたしたちを、主イエスにしたがう弟子としてください。
キリストの御名によって。
アーメン。
説教のあとに応答として唱える「信仰告白」は、ふだんは使徒信条・ニケア信条を用いていますが、神様に与えられた平和への使命を鑑み、カンバーランド長老教会信仰告白の6.32の文を用いてみました。
「神は教会に和解の使信と務めを託されている。教会は全体として、また個々の人々を通して、すべての人々、すべての階層、すべての人種、すべての国々の間に、和解と愛と正義が、拡大されることを求める。」
礼拝前の打合せの時に、Y長老から「使信ってなんですか」と尋ねられました。キリスト教書には比較的よく出てくる言葉なので、意識していませんでしたが、一般社会では使われる用語ではないのですね。確かに、パソコンの漢字変換でも候補にあがってこない。。。。
ネットで調べてみました。大辞林第三版では以下の通り。
イエス-キリストおよび使徒たちの福音宣教の中核的内容。転じて,聖書の言葉から読み取れる内容,説教者の勧めなど。メッセージ。 → ケリュグマ
さらに「ケリュグマ」(ギリシア語です)の意味はというと
〔伝令が告げる布告,の意〕
新約聖書学で,原始キリスト教会の説教のキリスト証言部分。広義には,福音宣教の内容。 → 使信
いつ頃、誰が、「使信」という訳語を考えたのでしょう。その前にはなかった言葉を造ったのでしょうか。なかなか良い語だなあ、と思いました。
が、礼拝者の皆さんがよく意味のわからない状態で告白しても仕方ありません。
司式のY長老に、信仰告白の前に、「使信とはメッセージという意味です」と言ってもらうことにしました。
↓ ネット上でみつけた「ケリュグマ」という言葉のはいったロゴ
「イエスは生きておられる」というケリュグマがスペイン語で書いてありますね。
by boxy-diary
| 2013-08-13 11:33
| 教会・神学・宗教