2013年 04月 05日
あなたのうめきは祈りではないか |
水曜日の午後、「賛美歌工房」の月例の集まりがあった。
E会長より、「礼拝と会衆賛美という題で話をしてほしい。顧問の今橋先生が、『アラセセンセに頼みなさい』と言っておられるので・・・」と、断わりようのない頼み方で依頼され、ちょっとした話をしに伺ったのがきっかけ。その後、「賛美歌創作のための修行をしよう!」と決意して、以後できるだけ参加している会である。
本物の作曲家の方々がいらっしゃるので、拙い作品でも持っていくと、しばらく後に素敵な曲がついてくるという非常に恵まれた集い。ありがたいことだ。
誰に頼まれたわけでもないけれど(というか、誰も頼んでなどくれないのだが)、必ず新作1つ、またはそれ以上を携えて行かねばならないと、自分で決めている。
4月3日の例会には、以前に電車の中で着想してメモに走り書きしていた詞を、ある程度の形に仕上げて持っていこうと思っていた。
が、直前になって考えが変わった。
ひとつは昨夏日本にお招きしたニュージーランドの賛美歌作家コリン・ギブソンさんの、詩編をテキストにした説教の原稿を読んだこと。
彼は、次のような主旨のことを述べているのである。
詩編は神をたたえること、神に祈ること、そして神がこの世界・人間に何を求めておられるかを歌っているが、ではわたしたちが何をなすべきか、ということについては余地を残しているのではないか。それを引き継いで、わたしたち自身が歌を作るべきではないか。それを自分の課題として賛美歌を作るようになった。
日本賛美歌学会が昨年出版した『Jumping Jesus コリン・ギブソン編 ニュージーランド賛美歌集』を見れば、そのことは確かに感じられる。
キリストに従う者の、現代社会における働きを、賛美歌によって表現していく。自分もそれをしたい。あらためてそう思ったことが一つ。
そして、もう一つは数日前に、森住卓氏のブログで知った飯舘村で起こりつつあること。そして、あまりにも衝撃的だった、朽ちてゆく馬の死体の写真。
こちらをお読みください。『森住卓のフォトブログ』 3月25日
ここ数日、このことが脳裏にあった。
それで、「今、書くべきことはなにか」と考え、浮かんできた「あなたのうめきは祈りではないか」というフレーズから、ひとつ書いてみた。「工房」当日の朝、ごく短い時間の中で書いたものなので、乱暴であり、稚拙であり、あまりに直接的すぎる感は否めない。しかし、今の僕の思いなので、ここにも載せさせて頂くこととした。下手でも、恥ずかしがって隠したままだったら、何も始まらないので。
「いのりではないか」
神さまのつくられた
美しいこの世界で
今なにが起こっているのか
浜通りの ひと気なき町を
さまよえる牛たち
あなたのうめきは
いのりではないか
神さまにいただいた
めぐまれたこの大地で
今なにが起こっているのか
みどりゆれる 飯舘の丘で
たおれふす馬たち
あなたのひめいは
いのりではないか
神さまにたくされた
大切なこの地球で
今なにを守るべきなのか
問われ止まり 思いめぐらして
向き変える人たち
あなたのけついは
いのりではないか
Copyright 2013 Makihiko Arase
曲をつけて、歌ってくださる方があれば嬉しい。
でも、ちょっと内容が重すぎるだろうか。
E会長より、「礼拝と会衆賛美という題で話をしてほしい。顧問の今橋先生が、『アラセセンセに頼みなさい』と言っておられるので・・・」と、断わりようのない頼み方で依頼され、ちょっとした話をしに伺ったのがきっかけ。その後、「賛美歌創作のための修行をしよう!」と決意して、以後できるだけ参加している会である。
本物の作曲家の方々がいらっしゃるので、拙い作品でも持っていくと、しばらく後に素敵な曲がついてくるという非常に恵まれた集い。ありがたいことだ。
誰に頼まれたわけでもないけれど(というか、誰も頼んでなどくれないのだが)、必ず新作1つ、またはそれ以上を携えて行かねばならないと、自分で決めている。
4月3日の例会には、以前に電車の中で着想してメモに走り書きしていた詞を、ある程度の形に仕上げて持っていこうと思っていた。
が、直前になって考えが変わった。
ひとつは昨夏日本にお招きしたニュージーランドの賛美歌作家コリン・ギブソンさんの、詩編をテキストにした説教の原稿を読んだこと。
彼は、次のような主旨のことを述べているのである。
詩編は神をたたえること、神に祈ること、そして神がこの世界・人間に何を求めておられるかを歌っているが、ではわたしたちが何をなすべきか、ということについては余地を残しているのではないか。それを引き継いで、わたしたち自身が歌を作るべきではないか。それを自分の課題として賛美歌を作るようになった。
日本賛美歌学会が昨年出版した『Jumping Jesus コリン・ギブソン編 ニュージーランド賛美歌集』を見れば、そのことは確かに感じられる。
キリストに従う者の、現代社会における働きを、賛美歌によって表現していく。自分もそれをしたい。あらためてそう思ったことが一つ。
そして、もう一つは数日前に、森住卓氏のブログで知った飯舘村で起こりつつあること。そして、あまりにも衝撃的だった、朽ちてゆく馬の死体の写真。
こちらをお読みください。『森住卓のフォトブログ』 3月25日
ここ数日、このことが脳裏にあった。
それで、「今、書くべきことはなにか」と考え、浮かんできた「あなたのうめきは祈りではないか」というフレーズから、ひとつ書いてみた。「工房」当日の朝、ごく短い時間の中で書いたものなので、乱暴であり、稚拙であり、あまりに直接的すぎる感は否めない。しかし、今の僕の思いなので、ここにも載せさせて頂くこととした。下手でも、恥ずかしがって隠したままだったら、何も始まらないので。
「いのりではないか」
神さまのつくられた
美しいこの世界で
今なにが起こっているのか
浜通りの ひと気なき町を
さまよえる牛たち
あなたのうめきは
いのりではないか
神さまにいただいた
めぐまれたこの大地で
今なにが起こっているのか
みどりゆれる 飯舘の丘で
たおれふす馬たち
あなたのひめいは
いのりではないか
神さまにたくされた
大切なこの地球で
今なにを守るべきなのか
問われ止まり 思いめぐらして
向き変える人たち
あなたのけついは
いのりではないか
Copyright 2013 Makihiko Arase
曲をつけて、歌ってくださる方があれば嬉しい。
でも、ちょっと内容が重すぎるだろうか。
by boxy-diary
| 2013-04-05 09:53
| さんびか