受洗者の証し その1 |
それを今日から三日間、一日に一人分ずつ、紹介していきたいと思います。
まずは、Sさんから。
私の家はクリスチャン家庭ではなく、母は世界救世教という宗教に30年間入っていました。私も子ども用のお守りを持たされていました。父は今でも無宗教です。でもなぜか、家の本棚に聖書がありました。母が持っていたのですが、なぜか興味がわいてきて、ある日、無造作に開けましたら、「肉体を滅ぼすものを恐れるな。魂を滅ぼすものを恐れよ」(*)と書いてあり、小学5年生だった私の心にその言葉が残りました。
母に「宗教は救いだけ」と聞いていた(良いこと、いわゆる有難いことだけを告げるのが宗教だと思っていた)私には衝撃的でした。「神様ってなに?」と、思い切って母に聞くと、「近くに教会があるから行ってみる?」という意外な返事でした。ちょうどクリスマスの時期でした。お菓子やドリンクが嬉しかったのを覚えています。でもなぜかそれきり通いませんでした。家の隣りが世界救世教の支部で、「お祈り」をしに来いと呼びに来ることもあり、教会とは関わりがなくなりました。
母が亡くなってから、「母を助ける」と言っていた宗教が信じられなくなり、2、3年間は何も信じない生活が続きましたが、父の転勤先の神奈川県大和市でカトリック教会を見つけて、「神」を知りたい気持ちが湧いてきました。日曜日に通い、土曜日にはシスターと一対一で勉強会をしました。が、父の再びの転勤により、私は通うのを断念しました。
「神の子イエス・キリスト」は、肉体をもった人間であっても、普通の人間ではなく、皆の罪を背負うことができて、「死」によって私たちの罪をあがなうことができる、ということに驚かされました。「三次元」のわたしたちが「四次元」の神と通じる事ができて、その神様は人間を赦すことができる。
キリストは「不思議な方」そのものでした。もし私がキリストなら、「自分の罪は自分で償ってください」と言ったかもしれません。
神やキリスト、そして律法について書かれている書、特に「黙示録」に私は興味津々で、そこを何十回でも読みたいのですが、信者になるからには他の箇所も勉強しないと意味を持たないでしょうから、知る必要性はあると思います。めぐみ教会を見つけて13年も過ぎましたが、これからは、なんとなく神様と関わるのではなく、真剣に考えて生活に取り入れていくのが夢です。
以前、夫に教会に行くことを反対され、なかなか決意ができませんでした。夫は「宗教」が嫌いで、私としては聖書を学べる時間は平日の「パンの会」だけでした。悪いことではないのに家族に隠すのがつらくなり、Yさんの手作り料理を感謝しているといった気持を家で話すことにより、神を信じていない主人も教会に行くことは認めてくれるようになり、少し光が差し込んだ気持ちになりました。
これからも神を信じていくために、教会に通えるように神様にお祈りしていきたいと思います。中途半端に勉強してきたわたしですが、くじけないで学んでいきたいと思いますので、よろしくお願いします。
(* その箇所はマタイによる福音書10章28節でした。)