2012年 09月 27日
南半球より吹いてきた新しき賛美の風 |
少し前のことになるが、9月8日に日本賛美歌学会の大会が、立教大学池袋キャンパスの諸聖徒礼拝堂を会場として開催されたので、そのことを書いておきたい。
賛美歌学会では、2乃至3年に一度、海外からの講師を迎えている。3年前のパブロ・ソーサさんに続き、今年はニュージーランドよりコリン・ギブソンさんをお招きした。
日本賛美歌学会の公式サイトにコリン・ギブソン氏の紹介あり
ギブソンさんは、大学で英文学(特にシェークスピア)を教えるのが本業であられた方だが、賛美歌創作と賛美歌振興においても大きな業績を挙げられて、世界の賛美歌シーンでよく知られた方である。メソジスト教会の信徒説教者として、福音を証しすることにも熱心な方である。
今回の招聘にあたって、賛美歌学会では、ギブソンさんにニュージーランドの新しい賛美歌から代表的なものを22曲選んでいただいて、それを日本語に移して、『Jumping Jesus コリン・ギブソン編 ニュージーランドの創作賛美歌集』を出版した。
大会当日は、2回の講演を通して、ニュージーランドの教会と賛美歌の歴史を学びながら、「なぜこの歌が生まれたのか」を伺いつつ、実際に歌いながら、新しい歌を生み出す信仰のエネルギーを感じることができた。
各講演の前には、賛美歌練習タイム。指導は、新会長の高浪先生。会衆を歌わせることにおいては「高浪マジック」とさえいわれる程の手腕を持つ先生は、「歌う会長(singing president)」の本領を発揮。みんなで楽しくガンガン歌った。
講演1(通訳は横坂副会長)では、伝統的なキリスト教信仰を、現代人として新しく表現しなおす、とらえなおす、といった側面をあらわす賛美歌に主に焦点をあてた。
講演2(小生が通訳)の題は、「社会正義、自然、平和、平等、包括性を歌う賛美歌」。
社会正義が損なわれている現実を描写し、預言者的なチャレンジを迫る歌。
自然を慈しみ、経済発展よりも地球の良き管理者であることを訴える歌。
戦争を悲しみ、平和への志と勇気を謳う歌。
どれも、決して理屈っぽくなく、心にしみる美しさをもっている。
「包括性」というのは耳慣れない言葉かもしれないが、性別とか人種とか階層とかのあらゆる人間の属性をこえて、どんな人をも共同体に迎え入れ、共に生きようとする姿勢のことだ、とギブソンさんはいわれた。
大会後、ただちに新潟に赴いて、日曜に新潟教会で行われた北信越支部の集会での務めを終えて、月曜日に東京に戻ってこられたギブソンさん。火曜日の東京案内のガイドをNさんと共に仰せつかった。
さて、どこにお連れしようか。
ギブソンさんは演劇に造詣の深い方で、日本の古典芸能への興味をもっておられるというので、「能」「狂言」を見て頂くのはどうかと、有能な秘書Nさんがリサーチ。ちょうど火曜の夜に、渋谷の観世能楽堂で坂井同門会の公演があることがわかり切符をリザーブ。
能鑑賞の前にも時間があるので、日本庭園もあって、書のコレクションも豊富な根津美術館に行くことにした。
ちょうど「平家物語絵巻」の特別展示が行われていて、これにもギブソンさんは大いなる関心を示してくださったので良かった。
美術館入口の竹の美しさをめでておられたギブソン教授と記念撮影。
その後、渋谷の能楽堂へ。
実は、恥ずかしながら、小生は50年以上この国に住んでいながら、能・狂言を一度も生で見たことがない。
「難しいもの」という思い込みがあったのだが、(配布された英文・邦文でのあらすじの助けもあって)とってもよくわかり、しかも、面白かった!
狂言はともかく、能というのは、何か哲学的で高尚な精神世界を描いたものなのかと思っていたが、さにあらず。その日演じられた「巴」は戦死した男性への深い愛慕と一緒に死ねなかった恨み、「鉄輪」は自分を裏切って他の女と一緒になった男への凄まじいまでの怨恨。人間のドロドロした感情に深く迫るヒューマン・ドラマである。いやあ、すごかった・・・・ (不倫をしている男性があれを見たら、心臓を釘でさされるような衝撃を受けるのでは、なんて話をあとでギブソンさんとしましたよ!)
(画像は当日のものではないが、「鉄輪」の一場面。うらめしや~ )
僕はこの世界がよくわかっていなかったのだが、あとで調べると、狂言「初雁」で大名を演じた野村万作さんは人間国宝、仕舞で踊った「坂井同門会」の主宰者、坂井音重さんもまた人間国宝。その道の第一人者の演技に触れることができたというわけだ。
今度は別の場所で観世流以外のお能を見てみたい、できれば野外での薪能も見てみたい、と興味がふくらんだ。
ギブソンさんも非常に感銘を受けられたようで、その後、お好み焼きさんで、能の表現方法や、ドラマの解釈をめぐって話が盛り上がった。そのうち、ギブソンさんが、お能を題材とした賛美歌を書いてくれるかも???
賛美歌の話に戻ると、今回のギブソンさんとの出会い、そしてニュージーランドから吹いてきた新鮮な風により、また一層、賛美歌創作への意欲が掻き立てられた。
昨日、「賛美歌工房」の例会があったのだが、「例会には新作なしに出席しない」と自らに誓い、アイディアは前から温めていたものの、まだ仕上げていなかった「百倍の種」の詞を書いていった。これはなかなか、いけるのではないかと密かに思っている「30倍、60倍、100倍」の歌である。
その席で、前回に私が提出した、コヘレトのことばに着想を得た「空(くう)の空(くう)」の詞について、高浪先生からの厳しいご指摘を受けた。
「ギブソンさんの歌はわかりやすくて、イメージが豊かなんだよね。ああいうのが大事だ。この前もらった『空の空』の詞は、今ひとつよくわからないし、絵が浮かばないんだよね」。
はい。このご指摘を重く受け止めて、早速書き直します
僕らの信仰を、もっと自由に、もっと大胆に、もっとユニークにあらわした賛美歌を書きたいなあ。
がんばるぞ♪
賛美歌学会では、2乃至3年に一度、海外からの講師を迎えている。3年前のパブロ・ソーサさんに続き、今年はニュージーランドよりコリン・ギブソンさんをお招きした。
日本賛美歌学会の公式サイトにコリン・ギブソン氏の紹介あり
ギブソンさんは、大学で英文学(特にシェークスピア)を教えるのが本業であられた方だが、賛美歌創作と賛美歌振興においても大きな業績を挙げられて、世界の賛美歌シーンでよく知られた方である。メソジスト教会の信徒説教者として、福音を証しすることにも熱心な方である。
今回の招聘にあたって、賛美歌学会では、ギブソンさんにニュージーランドの新しい賛美歌から代表的なものを22曲選んでいただいて、それを日本語に移して、『Jumping Jesus コリン・ギブソン編 ニュージーランドの創作賛美歌集』を出版した。
大会当日は、2回の講演を通して、ニュージーランドの教会と賛美歌の歴史を学びながら、「なぜこの歌が生まれたのか」を伺いつつ、実際に歌いながら、新しい歌を生み出す信仰のエネルギーを感じることができた。
各講演の前には、賛美歌練習タイム。指導は、新会長の高浪先生。会衆を歌わせることにおいては「高浪マジック」とさえいわれる程の手腕を持つ先生は、「歌う会長(singing president)」の本領を発揮。みんなで楽しくガンガン歌った。
講演1(通訳は横坂副会長)では、伝統的なキリスト教信仰を、現代人として新しく表現しなおす、とらえなおす、といった側面をあらわす賛美歌に主に焦点をあてた。
講演2(小生が通訳)の題は、「社会正義、自然、平和、平等、包括性を歌う賛美歌」。
社会正義が損なわれている現実を描写し、預言者的なチャレンジを迫る歌。
自然を慈しみ、経済発展よりも地球の良き管理者であることを訴える歌。
戦争を悲しみ、平和への志と勇気を謳う歌。
どれも、決して理屈っぽくなく、心にしみる美しさをもっている。
「包括性」というのは耳慣れない言葉かもしれないが、性別とか人種とか階層とかのあらゆる人間の属性をこえて、どんな人をも共同体に迎え入れ、共に生きようとする姿勢のことだ、とギブソンさんはいわれた。
大会後、ただちに新潟に赴いて、日曜に新潟教会で行われた北信越支部の集会での務めを終えて、月曜日に東京に戻ってこられたギブソンさん。火曜日の東京案内のガイドをNさんと共に仰せつかった。
さて、どこにお連れしようか。
ギブソンさんは演劇に造詣の深い方で、日本の古典芸能への興味をもっておられるというので、「能」「狂言」を見て頂くのはどうかと、有能な秘書Nさんがリサーチ。ちょうど火曜の夜に、渋谷の観世能楽堂で坂井同門会の公演があることがわかり切符をリザーブ。
能鑑賞の前にも時間があるので、日本庭園もあって、書のコレクションも豊富な根津美術館に行くことにした。
ちょうど「平家物語絵巻」の特別展示が行われていて、これにもギブソンさんは大いなる関心を示してくださったので良かった。
美術館入口の竹の美しさをめでておられたギブソン教授と記念撮影。
その後、渋谷の能楽堂へ。
実は、恥ずかしながら、小生は50年以上この国に住んでいながら、能・狂言を一度も生で見たことがない。
「難しいもの」という思い込みがあったのだが、(配布された英文・邦文でのあらすじの助けもあって)とってもよくわかり、しかも、面白かった!
狂言はともかく、能というのは、何か哲学的で高尚な精神世界を描いたものなのかと思っていたが、さにあらず。その日演じられた「巴」は戦死した男性への深い愛慕と一緒に死ねなかった恨み、「鉄輪」は自分を裏切って他の女と一緒になった男への凄まじいまでの怨恨。人間のドロドロした感情に深く迫るヒューマン・ドラマである。いやあ、すごかった・・・・ (不倫をしている男性があれを見たら、心臓を釘でさされるような衝撃を受けるのでは、なんて話をあとでギブソンさんとしましたよ!)
(画像は当日のものではないが、「鉄輪」の一場面。うらめしや~ )
僕はこの世界がよくわかっていなかったのだが、あとで調べると、狂言「初雁」で大名を演じた野村万作さんは人間国宝、仕舞で踊った「坂井同門会」の主宰者、坂井音重さんもまた人間国宝。その道の第一人者の演技に触れることができたというわけだ。
今度は別の場所で観世流以外のお能を見てみたい、できれば野外での薪能も見てみたい、と興味がふくらんだ。
ギブソンさんも非常に感銘を受けられたようで、その後、お好み焼きさんで、能の表現方法や、ドラマの解釈をめぐって話が盛り上がった。そのうち、ギブソンさんが、お能を題材とした賛美歌を書いてくれるかも???
賛美歌の話に戻ると、今回のギブソンさんとの出会い、そしてニュージーランドから吹いてきた新鮮な風により、また一層、賛美歌創作への意欲が掻き立てられた。
昨日、「賛美歌工房」の例会があったのだが、「例会には新作なしに出席しない」と自らに誓い、アイディアは前から温めていたものの、まだ仕上げていなかった「百倍の種」の詞を書いていった。これはなかなか、いけるのではないかと密かに思っている「30倍、60倍、100倍」の歌である。
その席で、前回に私が提出した、コヘレトのことばに着想を得た「空(くう)の空(くう)」の詞について、高浪先生からの厳しいご指摘を受けた。
「ギブソンさんの歌はわかりやすくて、イメージが豊かなんだよね。ああいうのが大事だ。この前もらった『空の空』の詞は、今ひとつよくわからないし、絵が浮かばないんだよね」。
はい。このご指摘を重く受け止めて、早速書き直します
僕らの信仰を、もっと自由に、もっと大胆に、もっとユニークにあらわした賛美歌を書きたいなあ。
がんばるぞ♪
by boxy-diary
| 2012-09-27 13:11
| さんびか