2011年 08月 13日
震災から5ヶ月目の仙台・荒浜にて |
8日の夜に、「巨人」牧師と二人で車に乗り込んで仙台へと出発し、9日から11日までの三日間、仙台の「エマオ」(日本基督教団東北教区被災者支援センター)での支援活動に参加してきました。僕にとっては、6月の中旬に続いて2回目の参加です。
猛暑、いや酷暑の仙台の街中を通り抜け、14キロの道のりを自転車で走り、若林区七郷に向かいます。僕の行くことになった御宅はSさんの大きな家。しかし、津波にやられて今は住める状態ではなく、Sさんはアパート住まいだそうです。僕の行った三日間にやった仕事は、側溝の泥かき、下水ますの掃除、女性たちが床下にもぐって掻きだした泥をネコ車で運んで捨てる仕事、物置倉庫の移動、畑のまわりの草取りなど。照りつける太陽のもと、汗をびっしょりかきながら体を動かす・・・。それは普通に考えると、ゲンナリする苦役なのでしょうが、実際にはそれほど苦痛ではなく、むしろ爽快感を感じることでした。ひとりでやるのでなく、ボランティア仲間たちとチームワークで仕事をするからということと、目に見える形で壊れていたものの秩序を取り戻すという達成感を得られるからでしょう。
休憩の時間には、Sさんを囲んでおしゃべりをします。ユーモアがあって笑顔の絶えないSさんは、僕らをケラケラ笑わせてくれます。しかしその明るい語り口の背後に、深い哀しみや過酷な被災の現実が透けて見える瞬間があるのです。Sさんとの語らいの時が、いちばん大切な時間であったかもしれません。
11日には各グループが、通常より早くにワークを切り上げて、2時半頃に集合場所に戻ってきて、横の畑で、輪になって2時46分を待ちました。エマオでは、毎日11日のこの時間に、荒浜での黙祷の時を守っているそうです。
全国のいろいろな場所から集まってきた者たちが、手をつないで頭を垂れ、地震と津波で命を落とされた多くの方々を思って祈りをします。
僕が立っていたのは、ちょうど、左の人の腕の向こう。長靴の先だけちょこっと写っています。
(写真提供: Rev. Etsuya Kataoka )
猛暑、いや酷暑の仙台の街中を通り抜け、14キロの道のりを自転車で走り、若林区七郷に向かいます。僕の行くことになった御宅はSさんの大きな家。しかし、津波にやられて今は住める状態ではなく、Sさんはアパート住まいだそうです。僕の行った三日間にやった仕事は、側溝の泥かき、下水ますの掃除、女性たちが床下にもぐって掻きだした泥をネコ車で運んで捨てる仕事、物置倉庫の移動、畑のまわりの草取りなど。照りつける太陽のもと、汗をびっしょりかきながら体を動かす・・・。それは普通に考えると、ゲンナリする苦役なのでしょうが、実際にはそれほど苦痛ではなく、むしろ爽快感を感じることでした。ひとりでやるのでなく、ボランティア仲間たちとチームワークで仕事をするからということと、目に見える形で壊れていたものの秩序を取り戻すという達成感を得られるからでしょう。
休憩の時間には、Sさんを囲んでおしゃべりをします。ユーモアがあって笑顔の絶えないSさんは、僕らをケラケラ笑わせてくれます。しかしその明るい語り口の背後に、深い哀しみや過酷な被災の現実が透けて見える瞬間があるのです。Sさんとの語らいの時が、いちばん大切な時間であったかもしれません。
11日には各グループが、通常より早くにワークを切り上げて、2時半頃に集合場所に戻ってきて、横の畑で、輪になって2時46分を待ちました。エマオでは、毎日11日のこの時間に、荒浜での黙祷の時を守っているそうです。
全国のいろいろな場所から集まってきた者たちが、手をつないで頭を垂れ、地震と津波で命を落とされた多くの方々を思って祈りをします。
僕が立っていたのは、ちょうど、左の人の腕の向こう。長靴の先だけちょこっと写っています。
(写真提供: Rev. Etsuya Kataoka )
by boxy-diary
| 2011-08-13 00:04
| 今この世界で