2011年 06月 09日
Oさんの洗礼 |
今週の火曜日、7日に、OKさんの病床での洗礼を行った。
洗礼を終えた後に記念撮影。看護士さんがとても協力的で、この写真も撮ってくれた。
(左から)K長老、Megumiboxy、妻のO.Fさん、次女Mさん
そしてベッドにおられるのがO.Kさん
お連れ合いのF姉は、若き日に信仰を持たれた方。
ホーリネス系のイムマヌエル綜合伝道団の教会で信仰に導かれ、そこでしっかりとした厳しい訓練を受けてこられた。そのせいだろうか。一本筋が通った力強い信仰の姿勢を彼女から感じる。文語訳で聖書をたくさん暗誦しておられるのも大きな財産で、ちょっとした会話の中にも、また新入会員に差し上げる寄せ書きなどにも、格調高い文語文で詩編がすっと出てくる。
F姉は長いこと、本当に長いこと、夫のKさんの救いのために祈ってこられた。その祈りは、どんなに時間がたっても絶えることがなかったのである。私も、何度かお宅をお邪魔してKさんとお話する機会をもたせていただいた。Kさんは私を歓迎してくださり、趣味の写真撮影のことなどいろいろお話を伺ったが、信仰に関しては話が進まなかった。随分昔に牧師との間で何かぶつかることがあったというような話をちらっとして、後は黙っておられた。そのことがKさんの心に、教会への拒否感を残していたのかもしれない。ただ、我々の教会にはとても協力的で、こども祝福の日の記念撮影のために2年続けて教会に来てくださり、大きなパネルにして何枚もプレゼントしてくださったりしたのである。ただ、ここ数年は健康を害されて、出張撮影はできなくなっておられた。
昨年12月、Kさんが立川の病院に入院しておられた時、うちの息子が自然気胸になってたまたま同じ病院に救急車で運ばれたのである。実は以前、Kさんは、一眼レフの高級カメラや三脚などを、(当時写真に凝っていた)うちの息子にくださったことがある。デジタルのものを購入したし、古いものでもう使わないものがあるから、ということだった。そんな縁があった二人が、階は違ったが、しばらく同じ病院で過ごした。その時、Kさんは息子のことをとても心配してくださり、お見舞いに娘さんを遣わしてくださったりしたのだ。
そんなことから、Kさんとの距離が少し縮まったような気がする。
今回、違う病院に移ってから初めて訪問させていただいた際、Fさんの願いもあり、洗礼のことを伺ってみたら、とてもはっきりした声で「お願いします」と言われたのである。いくつかの病気を抱え、透析も週3日続けておられるので、意識が朦朧とすることが時々あるらしいが、その時はとても力強い声と表情であった。さっそく、小会(長老会)にかけて、病床での洗礼を執行しましょうと長老たちも決断し、今回の授洗となったのである。
式の中で、僕は「四人が中風で動けない人を板に載せてイエス様のいる家に運んできて、満員で家に入れなかったので、屋根をはがしてイエス様の前に彼をつりおろした」話をした。
Kさんは、Fさんの祈りの板に載せられてイエス様のもとへ連れてこられたのだと思います。ご自分で教会の門をたたいのたのではありませんでした。でもそれは問題ではないのです。中風の男も、イエス様のもとに運ばれてからは、自分でイエス様の「あなたの罪は赦される」というみことばを聞き、受け止め、そして「立ち上がりなさい」というイエス様の命令に自分で答えて立ち上がったのです。ここからは、自分の信仰をもって、どんな時も神様に祈って、神様により頼んで進んでいってください。
そんなようなことを言った(つもりだ)。
神様は祈りを聞いておられるんだなあ。
そう、実感させられて、喜びにあふれた一日だった。
今や神の子として新しく生まれたOKさんに、神様の素晴らしい祝福がありますように!
洗礼を終えた後に記念撮影。看護士さんがとても協力的で、この写真も撮ってくれた。
(左から)K長老、Megumiboxy、妻のO.Fさん、次女Mさん
そしてベッドにおられるのがO.Kさん
お連れ合いのF姉は、若き日に信仰を持たれた方。
ホーリネス系のイムマヌエル綜合伝道団の教会で信仰に導かれ、そこでしっかりとした厳しい訓練を受けてこられた。そのせいだろうか。一本筋が通った力強い信仰の姿勢を彼女から感じる。文語訳で聖書をたくさん暗誦しておられるのも大きな財産で、ちょっとした会話の中にも、また新入会員に差し上げる寄せ書きなどにも、格調高い文語文で詩編がすっと出てくる。
F姉は長いこと、本当に長いこと、夫のKさんの救いのために祈ってこられた。その祈りは、どんなに時間がたっても絶えることがなかったのである。私も、何度かお宅をお邪魔してKさんとお話する機会をもたせていただいた。Kさんは私を歓迎してくださり、趣味の写真撮影のことなどいろいろお話を伺ったが、信仰に関しては話が進まなかった。随分昔に牧師との間で何かぶつかることがあったというような話をちらっとして、後は黙っておられた。そのことがKさんの心に、教会への拒否感を残していたのかもしれない。ただ、我々の教会にはとても協力的で、こども祝福の日の記念撮影のために2年続けて教会に来てくださり、大きなパネルにして何枚もプレゼントしてくださったりしたのである。ただ、ここ数年は健康を害されて、出張撮影はできなくなっておられた。
昨年12月、Kさんが立川の病院に入院しておられた時、うちの息子が自然気胸になってたまたま同じ病院に救急車で運ばれたのである。実は以前、Kさんは、一眼レフの高級カメラや三脚などを、(当時写真に凝っていた)うちの息子にくださったことがある。デジタルのものを購入したし、古いものでもう使わないものがあるから、ということだった。そんな縁があった二人が、階は違ったが、しばらく同じ病院で過ごした。その時、Kさんは息子のことをとても心配してくださり、お見舞いに娘さんを遣わしてくださったりしたのだ。
そんなことから、Kさんとの距離が少し縮まったような気がする。
今回、違う病院に移ってから初めて訪問させていただいた際、Fさんの願いもあり、洗礼のことを伺ってみたら、とてもはっきりした声で「お願いします」と言われたのである。いくつかの病気を抱え、透析も週3日続けておられるので、意識が朦朧とすることが時々あるらしいが、その時はとても力強い声と表情であった。さっそく、小会(長老会)にかけて、病床での洗礼を執行しましょうと長老たちも決断し、今回の授洗となったのである。
式の中で、僕は「四人が中風で動けない人を板に載せてイエス様のいる家に運んできて、満員で家に入れなかったので、屋根をはがしてイエス様の前に彼をつりおろした」話をした。
Kさんは、Fさんの祈りの板に載せられてイエス様のもとへ連れてこられたのだと思います。ご自分で教会の門をたたいのたのではありませんでした。でもそれは問題ではないのです。中風の男も、イエス様のもとに運ばれてからは、自分でイエス様の「あなたの罪は赦される」というみことばを聞き、受け止め、そして「立ち上がりなさい」というイエス様の命令に自分で答えて立ち上がったのです。ここからは、自分の信仰をもって、どんな時も神様に祈って、神様により頼んで進んでいってください。
そんなようなことを言った(つもりだ)。
神様は祈りを聞いておられるんだなあ。
そう、実感させられて、喜びにあふれた一日だった。
今や神の子として新しく生まれたOKさんに、神様の素晴らしい祝福がありますように!
by boxy-diary
| 2011-06-09 07:12
| めぐみな人々