謹賀新年 |
今年もこの小さなブログを続けていきますので、ご愛読と応答(軽い感想から真剣なツッコミまで)をよろしくお願いします。
元旦の出来事
1)元旦礼拝がなかった
めぐみ伝道所は、1993年1月3日に最初の主日礼拝をささげた。したがって、この年は伝道所での元旦礼拝というのはなく、国立のぞみ教会の元旦礼拝に参加した。翌1994年からは1日朝に元旦礼拝を行うようになった。今、週報を見返してみたら、「朝6-7時」と書いてある。やる気満々で、張り切っていたんだなあ・・・。
今年は(多分)はじめて、元旦礼拝を行わないことになった。2日が日曜で、大切な主日礼拝があるので、そこに集中したほうがよいという小会の判断だ。僕も異論はない。以前だったら、「いや、やりましょう」と頑張ったかもしれないが、自分の中でも「元旦」で区切りをつけるという感覚が薄れてきたのかもしれない。もちろん、季節の風物詩としてのお正月は良いものだし、それはそれとして大事にしたいが、信仰的な意義がこの日に特別あるわけではない。教会暦の1年はアドベントがはじまりになっているし、イースターという始まりの日もあるし、信仰共同体にとっての重要な節目というものもある。
そんなわけで、今朝は元旦礼拝がなくて、それならば他教派の礼拝に出て、越川先生のような「礼拝探訪」をしてみようかなと思ったが、静かに家にいることにした。行動もよいが、地味に静かに過ごすのもよいものだ。娘は国家試験のお勉強合宿と称して仲間と河口湖へ。息子も夜が遅かったのか朝寝坊。夫婦で静かにこたつでお雑煮をいただく。こういうゆっくりした元旦もいいな。
2)今年の聖書日課がはじまった
昨年の元旦から始まった聖書通読のあゆみ。昨年は適度な長さに区切って聖書日課を作ったが、今年はわかりやすいように(そして、数字に間違いの多い作成者[=自分]によるミスが起こらぬように)、1日1章でいくこととなった。
今朝は士師記1章。
昨年は創世記1章の「光あれ」という神の力強い見言葉から始まった。それに比べると、お正月の朝に読むにはふさわしいとはとても言えない士師記の1章。しかし、これが今日与えられた言葉だ。
士師記は非常に人間臭い。新共同訳聖書の注解(池田裕)にはこうある。「人々は士師記の物語を通して、いつの時代にも共通する多くのテーマに触れる。すなわち、戦争においてみせる人間の残酷性、だまし、ひたすらな愛と自己破滅、旅人の不安と客をもてなす人々の親切、それを邪魔する冷酷な暴徒、同族同士の無意味な戦闘と愚劣さなどが生き生きと語られている。どのテーマも極めて現代的である。
3)18年前の「天皇杯」決勝!
NHK-BS1をつけたら、なんと1993年の天皇杯決勝「横浜マリノスvs読売ヴェルディ」をやっているではないか!これはボクにとって、日本放送協会さんがくださった素敵なお年玉!
木村和司、水沼、エバートン、井原、小村、永山、鈴木、山田、小泉・・・キーパーはもちろん松永。
対するヴェルディは、カズ、武田、ラモス、都並、中村、ペレイラ・・・と懐かしい顔ぶれ。
いやいや、実に華のあるメンバーだったよなあ。
この年の決勝は名勝負だったなあ、と改めて思う。Jリーグが開幕したのがこの年の5月。いよいよプロリーグが始まるというわくわくするような盛り上がり感が、選手やサポーターやメディアの人たちからひしひしと伝わってくる。国立競技場も超満員だ。まだサポーターの応援が現在のようなものではなく、ブーブーとラッパがうるさいのも懐かしい。
ボクはこの試合を、引っ越してきたばかりの東大和市芋窪のアパートで見たのだ。午後は国立のぞみの愛餐会に出ていたはずだから、家に帰ってきてからビデオを見たのかな。そしてその二日後に、めぐみ伝道所が始まったのだ。
めぐみとJリーグは同い年である。どちらもすくすく成長し、どちらも今は難しい時期を迎えているのかもしれない(^^) しかし困難があるからこそ、冒険は楽しい。チャレンジは楽しい。
NHK―BS1は、このあと天皇杯名勝負ということで、あと2試合やるようだ。アジア杯広島大会などのダイジェストも織り交ぜながら。
制作費節減と、今後のサッカー番組盛り上げのための策だろうが、これは大歓迎の企画。ずっと見ていたい誘惑にかられたが、録画セットして、牧師室にやってきた。さあ、明日の週報を作ってしまおう。