2010年 12月 16日
閉店 |
灰色の空に覆われ、急に冷え込んだこの日、クリスマスを前にして悲しい出来事があった。
教会の3軒お隣りにある老舗マーケット「ワカツキ」に、突然、「本日をもって閉店いたします」との張り紙が出されたのだ。
ここ数ヶ月、棚の上にある品物が目に見えて減ってきていたし、それに伴って客も急減していたので、「そろそろ店を閉めるのだろうか」と心配はしていたが、顔なじみのおいちゃんは朝から夜まで一所懸命に働いているし、ダイレクトに「やめるの?」とは聞けなかった。が、やはり、カウントダウンはかなり前から始まっていたのだろう。客たちは誰もが終わりの気配を感じていただろうが、その時の到来はあまりにも唐突であった。
教会がこの地に移ってきたのは12年前であるが、当時のワカツキは大変賑わっていた。特売が行われる日曜の朝など、10時開店の前には長蛇の列ができていて、「この中の何割かでも、買い物のあと教会に寄ってくれないかな」などと思ったものだ。
教会のメンバーたちも、帰り際に「ワカツキで買い物してくる」といって、たくさん野菜や肉を買って帰ったものだ。「教会の近くに、激安のお店があると助かる」といっていた主婦の人たちが多かった。もちろん我が家の家計も大いに助かった。
それから、ここの「奥様」(社長夫人)が作るお惣菜は安くてボリュームがあって、とても人気があった。我が教会でも、「胞子の会」のあとなど、何種類も買い込んできて、「安くておいしいねえ」と皆で喜んで食べたものだ。
教会員のSちゃんとそのお母さん、お兄さんがこのお店で働いていた時期は特に関係が深くなり、高校生だった娘の「初バイト」は、この店のレジだった。
今、最後の買い物をしようと店に行ってきた。店の半分は電気もついていなくて、薄暗い店に、カレールーやふりかけなど乾物がわずかに。何を買えばよいか迷ったが、最後はぴりりと締めようと「唐辛子」1袋を86円で購入。ワカツキポイントカードは、既に機械を引き払っており、おいちゃんが「すみませんね」と、カードと交換に試供品の皿1枚とビールジョッキ1つをくれた。
朝夕に挨拶をかわしたおいちゃんの姿が見られなくなると思うと辛い。
かつては背広姿でアタッシェケース片手に忙しく教会の前を行き来しておられた会長さんが、「突然のことですみませんね」と、驚いてやってくる客に頭をさげる。「長くお世話になりました。なくなるのが残念です」と挨拶をすると、「44年もやってきましたからね。本当に残念ですが、もう年ですから」と寂しげに笑う。
ここは小売業者にとって激戦区だ。すぐ近くには村山団地中央商店街の安売り八百屋、産地直売の野菜販売所が数軒、中規模スーパーのオリンピック、生協、団地の反対側にはいなげ屋。2キロ以内に、大型のヨーカドー、ダイエー、反対側にはイオンモール。
小規模のスーパーを経営してくるのは本当に大変だったろうと思う。長い間、本当にお疲れ様でした。そして、ありがとうございました。
ワカツキのホームページ(すばらしいサイトがあったのだ!)に、「沿革」が記されていた。この店に歴史あり。ここで汗水流して働いてきた方々の年月を思って、感傷的な気分になった。
このサイトもやがて閉じられてしまうだろうから、ここに沿革を転載しておきたい。
■昭和30年5月
東村山市荻山町2丁目にて、青果店開業
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■昭和37年3月
有限会社八百若商店設立
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■昭和41年7月
武蔵村山市大南5丁目にて、マーケット開設、ストアー1番命名
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■昭和57年11月
株式会社ワカツキに、組織変更
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■昭和57年12月
スーパーワカツキ東村山店開設
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■平成7年12月
ぷらいすワカツキ店開設
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教会の3軒お隣りにある老舗マーケット「ワカツキ」に、突然、「本日をもって閉店いたします」との張り紙が出されたのだ。
ここ数ヶ月、棚の上にある品物が目に見えて減ってきていたし、それに伴って客も急減していたので、「そろそろ店を閉めるのだろうか」と心配はしていたが、顔なじみのおいちゃんは朝から夜まで一所懸命に働いているし、ダイレクトに「やめるの?」とは聞けなかった。が、やはり、カウントダウンはかなり前から始まっていたのだろう。客たちは誰もが終わりの気配を感じていただろうが、その時の到来はあまりにも唐突であった。
教会がこの地に移ってきたのは12年前であるが、当時のワカツキは大変賑わっていた。特売が行われる日曜の朝など、10時開店の前には長蛇の列ができていて、「この中の何割かでも、買い物のあと教会に寄ってくれないかな」などと思ったものだ。
教会のメンバーたちも、帰り際に「ワカツキで買い物してくる」といって、たくさん野菜や肉を買って帰ったものだ。「教会の近くに、激安のお店があると助かる」といっていた主婦の人たちが多かった。もちろん我が家の家計も大いに助かった。
それから、ここの「奥様」(社長夫人)が作るお惣菜は安くてボリュームがあって、とても人気があった。我が教会でも、「胞子の会」のあとなど、何種類も買い込んできて、「安くておいしいねえ」と皆で喜んで食べたものだ。
教会員のSちゃんとそのお母さん、お兄さんがこのお店で働いていた時期は特に関係が深くなり、高校生だった娘の「初バイト」は、この店のレジだった。
今、最後の買い物をしようと店に行ってきた。店の半分は電気もついていなくて、薄暗い店に、カレールーやふりかけなど乾物がわずかに。何を買えばよいか迷ったが、最後はぴりりと締めようと「唐辛子」1袋を86円で購入。ワカツキポイントカードは、既に機械を引き払っており、おいちゃんが「すみませんね」と、カードと交換に試供品の皿1枚とビールジョッキ1つをくれた。
朝夕に挨拶をかわしたおいちゃんの姿が見られなくなると思うと辛い。
かつては背広姿でアタッシェケース片手に忙しく教会の前を行き来しておられた会長さんが、「突然のことですみませんね」と、驚いてやってくる客に頭をさげる。「長くお世話になりました。なくなるのが残念です」と挨拶をすると、「44年もやってきましたからね。本当に残念ですが、もう年ですから」と寂しげに笑う。
ここは小売業者にとって激戦区だ。すぐ近くには村山団地中央商店街の安売り八百屋、産地直売の野菜販売所が数軒、中規模スーパーのオリンピック、生協、団地の反対側にはいなげ屋。2キロ以内に、大型のヨーカドー、ダイエー、反対側にはイオンモール。
小規模のスーパーを経営してくるのは本当に大変だったろうと思う。長い間、本当にお疲れ様でした。そして、ありがとうございました。
ワカツキのホームページ(すばらしいサイトがあったのだ!)に、「沿革」が記されていた。この店に歴史あり。ここで汗水流して働いてきた方々の年月を思って、感傷的な気分になった。
このサイトもやがて閉じられてしまうだろうから、ここに沿革を転載しておきたい。
■昭和30年5月
東村山市荻山町2丁目にて、青果店開業
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■昭和37年3月
有限会社八百若商店設立
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■昭和41年7月
武蔵村山市大南5丁目にて、マーケット開設、ストアー1番命名
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■昭和57年11月
株式会社ワカツキに、組織変更
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■昭和57年12月
スーパーワカツキ東村山店開設
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■平成7年12月
ぷらいすワカツキ店開設
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by boxy-diary
| 2010-12-16 16:38
| 東大和とその周辺