初めての方ですか?お名前をお書きください。 |
って、編集委員の友たちはそのままソニックシティ隣接のホテルに泊まって、今頃も会議をしているのだが(さっきも電話がかかってきた・・・)、僕はMissions Ministry Team会議で渡米するので、留守の間の用意、特に教会員総会資料の原稿点検をどうしても今日中にしておかないといけないので、今日はお休みさせてもらった。
なのに、ブログなんか書いてていいのかな?と思わないこともないが、こちらの更新もしばらくできなくなるので、コーヒーブレイクがわりに日記書きをゆるしてもらおう。
昨晩は、夜11時頃に武蔵野線を新小平駅でおりたら、雪がかなり降っていてびっくり。傘も持っていないし、ただの革靴なのに、西武多摩湖線の青梅街道駅まで徒歩5分ぐらい歩くというコースを選択したことをちょと後悔。遠回りでも西国分寺、立川経由にすればよかったか。
まあそんなことはどうでもよい。企画会議で考えさせられたことを備忘録的にメモしておこうと思って、これを書き始めたのだ。
人気の連載「新来者が行く」の執筆者、八木谷涼子さんが、昨日初めて会議に出てくださって、委員一同、ようやく彼女にお会いできたことを喜んだ。
企画会議に先立って持たれた「八木谷さんの時間」。彼女が今まで多くの教会へ行った経験の中から、気がついたこと、なおしたほうがよいのでは、と思うことを語ってくださった。また、我々もいろいろ尋ねられて、興味深いやり取りが展開した。
その中で、彼女は、「プロテスタントというと、名前を書かせられる教会という印象」といわれた。確かにそう。うちの教会でも、すべての礼拝参加者は、入口でノートに記帳。そして、「初めて」という欄にチェックされた方には、受付がB6サイズの「来会者カード」を渡して、記入してもらう。記入項目は、名前(ふりがな)、電話番号と住所、「お知らせなどをお送りしてもいいですか? はい 送らないでください」、所属教会の有無(有る場合は教会名)、誰かに誘われた場合はその人の名前、「牧師に伝えたいことがあればなんでもお書きください」というスペース。結構あるな。。。。
もちろん記載はその人の自由で、名前だけ書くという方もおられる。ただ、カードとペンを手渡されてしまうので、書くべしという無言のプレッシャーを感じてしまうという方はおられるだろう。
「カトリックでは一切記帳などないのに、なぜプロテスタントは名前を書くことにこだわるのか」という質問が我々に投げかけられた。礼拝人数を知るため(教勢報告のデータとなる)、個々人の出欠状況把握(牧会的な目的)、新来者の場合は後日のフォローアップのため、といったところか。
続けて行くことになったらもちろん自分の情報を開示することに異論はないが、「一回お試ししたいと思って来たんです。このあとどうするかはまだわからないんですが、ちょっとのぞかせてください」という人も、一歩足を踏み入れたらていきなり名前や住所などを書かされるというのは、いかがなものか。ハードル高すぎないか。「誰でもご自由に」と看板に書いてあるのに。
なるほどねぇ。
確かにそう感じる人もいるかもしれない。
ライターのISさんも、「新来会者として知られたり紹介されたりしたくないから、受付が込んでいるうちにさっと中に入ったりします」とのこと。
アメリカの教会の話も話題に出たが、そういえば、記帳などほとんどしたことがないな。会衆席に小さいカードと鉛筆が置いてあって、初めての人が名前や住所や要望を書いて出せるようになっているのを時々見るが、これは自己申告制だ。
礼拝しに来たのだから、あれやこれや聞かず、ただ一緒に礼拝させてくれればいいではないか。という気持ちはよくわかる。
ただ、反対に、「A教会へ行ったら後日、牧師から葉書をもらって嬉しかった。でもB教会は何もしてくれなかった」と感じるような人もいるので、なかなか難しい。「お構い」を好む人と、いやな人。両方いるだろうな。
いつか、小会(長老の会議)とか、ワーシップグループの会合にこのことを問いかけてみよう。外から入ってこようとしている人の視点で、見直してみると、修正すべき点がいろいろ見えてくるだろう。
「プロの新来会者」とでも言うべき、教会ウォッチャー八木谷さんの話は傾聴に値する。